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多数決の価値観に惑わされず、個を愛すること。

#自分にとって大切なこと

「おぉぉぉ、このテーマは私のための号令かもしれない」と思いました。
自分のことを掘り下げて公開せよ、と。

問いの答えはすぐに出てきます。
簡潔な言葉でまとめると、
「多数決の価値観に惑わされず、個を愛すること」です。
私はとにかくぼっちを愛しています。
好き好んでぼっちでいます。

社会人になってから「人脈」というパワーワードにびびり、
「なにがなんでも築かなければならないもの」と思い込んで
まずは交友関係から広げようとした時期がありました。
20代半ば頃の話しです。
誘いには全てのる、誘われた場の誘いにもさらにのる、
ということを繰り返して確かに知り合いは増えました。

が、元来の人見知りはどう頑張っても人見知りのままで、
コミュニケーションもうまくとれなくて、
知り合いが増えれば増えるほど精神的苦痛が増えていってしまいました。
「連絡をすぐに返さなきゃ」とか、
「断れないしな」とか、
「どう反応すべきだろう」とか、
公私ともになんだかずっと気を張っているような状態。

ある時Twitterにひとりでカフェにいる様子を呟いたところ、
それを見た人と合流しなければならない事態に陥り、
「あ、だめだ」と確信しました。
私にとって希少価値が高いのは、人脈よりもひとりの時間だと気づいたんです。
極端なことをいうと、
知り合いが増えることは益よりも害の方が自分にとっては多いのだな、と。

まだ”おひとり様”というワードが市民権を得る前から、
私はぼっちでいることが大好きでした。
カフェ、ショッピング、映画、ライブはぼっちがデフォルト、
ラーメン、カラオケ、焼肉、クラブ、観光地の人力車もぼっちで何の躊躇もない、
クリスマス当日にひとりディズニーデビューも果たしました。

「友達いないの?」と言われます。
サシで会えるほど仲のいい友達は、片手で足りるくらいしかいません。
でもそれって、本当に寂しいことなんでしょうか。
連絡不精の私にとっては、人生においてのベストメンバーです。
スタメンです。
自分から連絡をとることが滅多にない私を「そういう人」と理解してくれ、
リラックスした気持ちで会える友達は最高の財産です。
友達はたったひとりでもいてくれたら、
それだけで人生のラッキーだと思っています。


「多数決の価値観に惑わされず、個を愛すること」

洋服と同じで、何事も自分に合ったサイズがあると思うんですよね。
ぼっち=寂しい、という多数決の価値観があるのだとしても、
それが自分にとって心地良いものであるのなら何の問題もない。
オトナになっていく過程で、
仕事での人との付き合い方というか、
自分にとってジャストサイズのようなものもわかってきたので、
無理に人脈を広げようとしたあの頃よりも上手に人と付き合うことができているつもりです。

私は今日もぼっちで幸せにすごしています。

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