見出し画像

鞄職人としての仕事

 24歳の時、小さな家族経営の紳士鞄のメーカーにお世話になることになりました。何もかもが初めてで予備知識もありませんでした。小さな工場に入ると無骨な工業用ミシンや革漉機などが並んでおり、思わず「かっこいい」と発してしまい先輩に不思議そうに見られたのを今でも覚えています。

 小さな忙しいメーカーだったおかげで、短い期間で全ての工程をを経験させて頂きました。当時はバブルが崩壊した後で納期が極端に短い無理な発注が多く、いつも遅くまで働いていまいした。ダレスバッグ(ドクターバッグ)、ブリーフケース、セカンドバッグなどを作っていました。製造は一度に30本くらいの同じ鞄を各工程ごとに進めていくので適度な反復練習ができました。おかげで一年ぐらいでほぼ鞄を作れるようになりました。理想的な技術の習得方法だったと思います。

 この小さな町工場で、ゼロから完成まで鞄が出来上がっていく全ての工程に携わることができて本当に幸せでした。完成した鞄をずうっと眺めていて叱られることもよくありました。休日には先輩と銀座の百貨店に自分たちが作った鞄が並んでいるのを見に行って誇らしく思っていました。

ここでの2年間は私の人生にとってとても貴重な時間となりました。

しかしながら当時はバブル崩壊後の大変厳しい時代だったため収入の面で自分の生活を維持することが難しくなり、この愛すべき町
工場を去ることになりました。

 

送別会の席でサンプルとして私が一人で作ったセカンドバッグを会社からプレゼントされました。今でも宝物です。