230128
自信がないとき、背中を押してほしいとき、ちゃんと正しいか確認したいとき、決断が揺らぎそうなとき、母に連絡をする。きょう家に寄ってもいいですか。いいよ、とだけ母はいつも返事をくれる。そうしてきょうも電車に乗って数駅、実家へと帰る。
前職を勢いよく辞めたあとに就いたいまの仕事は、けっしてわるいところではないのだけれどじぶんにはなにもかもが合わなくて、働いて1週間とすこしが経って急に限界がやってきた。それから出社できていない。ほんとうにわるいところではない、とおもう。よいひとばかりだ。一生懸命よくしてくださっている。建物が古くて暖房がまったく効かないところ以外はよいところだ。ただわたしの直感が、出社初日からずっと〝なんだかちょっといやだ〟と訴えていた。それだけ。その直感を無視して飲み込んでどうにか続けられるよう目を背けてきたけれど、直感というものはやっぱり直感なのだった。本能的な感覚なのだった。
だめになってしまった。
また、だめになってしまった。
1週間はじぶんでも初めてだったからさすがに早すぎるとおもってがんばろうとしたけれど、がんばるためのエネルギーがそもそもなかった。
申し訳ないという気持ちにまた苛まれながら週明けに上司と面談という名の直接対決が控えていて、わたしはもうなにがなんでも辞めたいのでエネルギーを得るために帰還と相成ったわけだ。
母はどんなときでもわたしの決断を否定しないでいてくれる。むしろ日和るわたしの背中をばちばちに蹴り飛ばしてくれる。わたしが本来頑固者であることをいちばんに理解しているから。だからなにかに迷ったとき、自信がないとき、確信を得たいとき、いちばんに頼るのはいつでも母だった。
こんなに弱っちくて、どうしてひとりで生きていけるとおもっていたのだろう。
勢いよく家を飛び出してからつよく、何度も、考えている。
ひとりで生きていくことは、思っていたよりも困難が多かった。ひとりきりで家にいることには慣れていたけれど、考えているよりずっと心細くなることも、家を出るまでは知らなかった。寒いことに死の影を感じることも知らなかった。わたしはずっとしあわせに守られて生きていたのだ。それをこの暮らしのなかでひしひしと感じている。
いま、この暮らしを守っていくのはわたししかいない。決意をして飛び出してきたのだから、ちゃんとしなくちゃいけない。
逃げないでじぶんの人生はちゃんとじぶんで勝ち取っていこうね。
ところで先週の大寒波に備えて買ったユニクロのダウンジャケットがとても優秀で、さいきんの買ってよかったものに入るお買い物だった。
寒くないことはそれだけで救いだ。