海に行こうと思った。実際に思っていたのはずいぶんと前からだ。なぜ海に行きたかったのか、なぜ海でなければならなかったのか、理由は定かではない。わたしはわたしのことを知っているようでほとんど知らない。衝動と勢いと思いつきだけで生きているからほんとうにわからない。とにかく、海に行きたかった。予定していた日に仕事が入り、もうこの日しか行けない、となったので四月三十日、とうとう実行に移す。ほんとうは和歌山の海に行きたかったのだけど(関西圏でなるべくなら普段行かないところに行きたかった)、行くだけで大変そうだったので早々に諦めて須磨へ行くことにした。
 ひとりで行動するのは気楽でいい。時間に縛られることがないからだ。わたしはたいそう時間に緩いので、だれかと待ち合わせることも時間通りに動くことも苦手である。ただ自分で決めたスケジュール通りに進められないとそれはそれでストレスになる。心底、面倒くさい。付き合う身にもなってくれ。
 とにもかくにも、ひとり旅。事前に調べた乗りたい電車にもぎりぎりで乗れて、いざいざ、須磨の海へ。

 電車から下りた瞬間、もうにおいが海だった。駅のホームがすでに海。ひとりでもテンションがあがる。改札を出てすぐ、ようこその横断幕が柵にかけられていて、カメラを持ったひとたちが数人そこから写真を撮っていた。ただ目の前の景色はちょうど工事中で、重機や砂の山がいっぱいだった。これからの海シーズンに向けての整備なのだろうけれど、残念。
 海沿いを歩いてみる。右手に海。すぐそこにもう海がある。工事ゾーンを抜けたわたしを待っていたのは、マリンスポーツを楽しむリア充。
 え、早ない? もう海入るん?
 まだ海開きには遠いし、そこまでひともいないだろうとおもっていた。甘かった。めっちゃおるわ。
 水上スキーみたいなやつ(ジェットスキー)も走ってるし、ウインドサーフィンもあちこち浮かんでいるし、砂浜で日差しも気にせず眠っているカップルやぼっちのおじさんもいるし、そのそばには音楽を流すラジオがある。水族園のほうへ近づくほどに今度は家族連れが増える。中国人だか韓国人だかの家族のなかに、日本人の家族。甲高い子どものはしゃぐ声。
 めっちゃひとおるやないかい。みんな気ぃ早ない?
 まあまあ、たしかにね、この日めちゃくちゃ暑かったし、俗に言うゴールデンウィークに入っていたしね。そりゃそうですよね。わたしは水族園側からそっと離れて、来た道を引き返す。

 マリン野郎はいるけれど甲高い声に囲まれるよりはマシだとおもうことにして、比較的静かなエリアまで戻る。靴を脱いで、靴下を脱いで、コンビニの袋に入れてそれごとリュックのなかに詰め込む。スキニージーンズを上げられるところまで裾を折り上げて、海に足をつけた。おもったよりも冷たい。四月の海はまだぜんぜん冷たい。水に触れるたび、いっしゅん、肌の奥がピンとなる。なんなら潮風も冷たい。さむい。でも、いい。冷たい潮水に足をつけて、行ったり来たりする波に触れたり触れなかったりするだけで、めちゃくちゃたのしい。ひとしきり足をつけてたのしんだあとは、岩のようなコンクリートのようなでっぱりに腰を下ろして、ただぼおっと海を眺めていた。これもまためちゃくちゃたのしい。
 駅に下りた瞬間から気づいてたことだけれど、わたしはどうやら、潮のにおいがすきではない。磯くさいのがあまり好ましくないようだった。魚介類はだいすきなのに。でも波の音はどうにもこうにも、すきらしい。聴いているだけでねむたい。ずっと聴いていても飽きないくらいすきだ。日傘の影に隠れながら、目を閉じて、波の音を聴く。さいこう。なんだこれ。しばらくそこでうとうとしていた。

 わたしの静寂をぶちこわしてきたのも、やはりひとだった。中国だか韓国だかの、ちいさい子どもがさんにん。それぞれ手にビニール紐を結びあって、それを命綱のようにして、ひとりずつ海に入る。波に一瞬さらわれて脱げたピンクのビーチサンダルにきゃっきゃと笑い、ビニール紐の命綱を手放して潮風になびく様をみてまたきゃっきゃと笑う。かんべんしてくれ。
 かんべんしてくれ、とはおもうものの、ここはわたしだけの海ではないし、法に反するほどの迷惑行為などでもないし、そんなことを言う権利もなにもないので、そっとその場を離れることにした。都会はひとが多くてたいへんだ。
 離れたそこに、こんどは男子高校生が五、六人ほど現れた。制服姿で賑やかにやってきた彼らは、そのまま人目も憚らず水着に着替え始めた。一分もかからないうちに着替えたあとは、海を背にしてみんなで写真を撮り、その後海に飛び込んだ。
 え、早ない? そこそこ水冷たいで?
 冷たいと叫びながらも高校生たちは元気だった。パワーが違う。みなぎる生命力がちがう。わたしは男子高校生たちからさらに離れることにした。
 
 その後、さらさらの白い砂に足で触れてその感触をたのしみ、ひとしきり満足して、帰ることにした。来る途中で買った飲み水で足を洗い、持参したタオルでふき取ってから靴下と靴を履く。また海沿いの塗装道路を歩いて、水族園側の駅を目指す。
 ほんとうは夕暮れの海も見たかったけれど、こんなにひとが溢れた海と夕暮れはわたしの希望には遠いような気がしたので、今回は見送ることにした。つかれていたのもある。

 どうして海がよかったのか、山でも川でも森でもなく海に行きたかったのか、結局わからないままだ。行ってなにかが変わったわけではないし、残念ながらいいアイデアが浮かんだわけでもなかった。だけど、たのしかった。ひとりで気ままに、同行者のことを気にすることもなく、だれかに気を遣うこともなく、波の音(とジェットスキーの音とひとの声)を聴きながらひとりで過ごしてもだれにもなんにも言われないなんて、たのしくないわけがない。共有したいものも世のなかにはたくさんあるけれど、ひとりでたのしんだって悪くない。
 ところで海といえば、数年前、友人とふたりで淡路島の海に行った。そのときもたしか海開き前で、まるでプライベートビーチのようにひとがいなかった。あそこはよかった。行くにはとても体力と気力を要するけれど、あの海はよかった。静かで。あんな海にまた行きたい。なぜそこまで海にこころを惹かれるのかがわからない。紫外線で溢れているのに。じぶんのことは、やっぱりよくわからない。


(海/170528)