240628:文字が読めるようになりました
すこし前に6月がはじまったなあとおもっていたら、もう終わりそうになっている。いつの間にか梅雨入りもしたそうで。この家で過ごす、2度目の梅雨。ぼんやり日々が過ぎ去っていって、まいにちをただ浪費しているような感覚。
読書がしたい、とおもった。おもえるようになった、が正しいかもしれない。
文章を読んでも理解ができない時期があった。仕事に支障が出るレベルで、文字を身体が受け付けない時期があって、ほんとうにそんなことあるんだと新鮮に衝撃を受けた。そんなわけで、読書から遠ざかっていた。もともとそんなに本を読むほうではないから趣味の範囲で支障をきたすことはなかったのだけれど、仕事ができなくなるのはさすがに致命的だった。結局仕事は短期間で辞めることになった(それだけが理由ではなかったけれど)。
ほとんどの本を引っ越しの際に手放してしまい、手元にあるのは数年前の文学フリマで買ったまま積読になってしまっていた本たち。そのうちの1冊を連れて通勤するようになった。朝の数十分、熱意と癖が詰め込まれた物語に集中する。それはむかし小学生のときにあった、「朝の読書時間」を思い出すようだった。わたしの読書体験はきっとそのころに芽生えたと言える。積読たちを読み終えたら、久しぶりに本屋さんに行きたい。
いま暮らしている町は、古本屋さんが多い。どこも独特な店構えをしているので、まだ足を踏み入れることができていない。この町に越してきて2年になるのに、そうして気になりながら足を踏み入れられていない店がたくさんある。カフェ、ギャラリー、洋菓子店。
2年経ったらきっとひとり暮らしに満足して、また実家に戻るかもしれない。ひとり暮らしをはじめたころそんなことを考えていたのだけれど、気づけばあっという間にその2年は経っていて、実家に戻ろうという気持ちはまだない。自分のペースで生きられるということがどれほど楽かということを知ってしまったいま、実家には戻れないかもしれない。それでもいつかは戻ることになるのだろう。母になにかあったときには。それまでは引き続き、いまの生活を守れるように、しずかに生きていたい。またさむくてつらい冬がこないように、きてもだいじょうぶでいられるように、生きていたい。
物語を書けるようになるまではまだ時間がかかりそう。