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 仕事納めと職場の大掃除に紛れて退職した。当日まで数名にしか明かさず慌ただしさのどさくさに紛れて消えるつもりでいたけれど、やはり人の口に戸は立てられぬというか、バレるひとにはバレていていろいろ手紙や贈り物をいただいてしまった。
 みんな口にするのは〝ありがとう〟ということば。
 わたしに贈られることばなのに、わたしにはそんな価値がないという気持ちがつよくてうまく受け取りきれなかった。ごめんなさい、申し訳ない、もっとがんばれたらよかったのに、まだここにいられたらよかったのに。もらった手紙がつらくて、苦しくてなさけなかった。
 いまはいろいろなことに自信がない。
 約5年自由に甘やかされて、次に行くところでちゃんとやれるだろうか。役に立てるだろうか。そもそも仕事に行けるだろうか。
 自信がない。でも、進むしかない。

 ことしは大きな決断をふたつした。
 実家を出たこと。仕事をやめたこと。
 どちらもじぶんで決めたことなのに、正しかったか間違いじゃなかったか、不安で仕方がない。実家にいたほうがしあわせだったかもしれない。仕事をやめずに続けられたほうが正しかったかもしれない。
 こんな年の瀬にじぶんで撒いた不安の種で苦しんでるなんてなさけなくてみじめで辞めた日と翌日はなにもできなかった。ただたくさん眠って眠って眠って、すこしだけ家のなかの掃除をして、ようやくいま、ほんのすこし前を向こうとしている。
 がんばって生きなくちゃいけない。

 ことしの夏、曾祖母が亡くなった。101歳だった。
 家に家族がいたのに、だれもみていないうちにひっそりと亡くなったとのこと。その日の仕事終わりに母と弟といっしょに曾祖母の家へ向かった。曾祖母はちいさくちいさく痩せ細って、しずかに眠っていた。
 大往生のためか湿っぽい空気もなく、曾祖母がねむるそばでみんなでごはんを食べた。葬式はせず火葬のみ行うとのことだった。
 長年曾祖父と曾祖母のお世話をしてくれていた大叔母はいまどうしているだろう。負担が外れてゆっくり過ごせているだろうか。わたしなんかがおもうのはおこがましいかもしれないけれど。
 死んだらどうなっちゃうんだろう。死の瞬間は穏やかだったんだろうか。曾祖母に訊くことは叶わない。
 もう「いい娘さんにならはって」といつも言ってくれることばを、「じょうずに育てはったなぁ」と母を褒めてくれることばを、聴くことは叶わない。

 ことしはずっと不安定で不調が続いてかなしみに暮れることが多かった。でもどうにか、きょうも生きてる。
 らいねんはどうだろう。
 急に元気になることはなくても、しずかにできるだけおだやかに過ごせるいちねんになればいいとおもう。少なくとも、渡された肯定的なことばや気持ちをきちんと受け取れるようになりたい。

 それではどなたさまもよいお年を。