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価値判断や感情論に陥らないこと

憲法の学習は、
雲をつかむような感じになってしまい、
どうも身についた感じがしない。

そんな印象を持たれる方は、多いはずです。

これは、憲法が、民法などのように、
条文の解釈を適宜行いながら「要件」を定立し、
当該要件に具体的事実をあてはめて一定の結論(効果)を出す。
という、いわゆる法的三段論法が使いにくいという点にあります。

端的に言えば、憲法は論法が抽象的になりやすく、
単なる価値判断や感情論に終始してしまうことが多い
ということです。

読書感想文のような感じです。

しかし、憲法は「条文」が他の法に比べて少ない
というだけであり、そこには条文の穴を埋めるように、
多くの最高裁判例が存在しています。

条文を起点としてスタートし、
その不明確な部分を解釈していくという論法は、
確かに憲法にも存在しているのです。

したがって、憲法を学習する時には、
常に、以下のことに注意を払う必要があります。

1 憲法が保障する各人権規定は、
  元来どういった権利を保障するものなのか
 (条文を起点として議論をスタートさせる)

2 当該人権規定には、どのような判例が蓄積していて、
  どのように権利の保障の範囲を解釈しているのか
  → たとえば、表現の自由は、元来、意見を表明することを
    妨げられないことを保障する規定だとされていますが、
    「メモをとる自由」までも保障する趣旨なのか?
    というような議論です。

3 権利も絶対無制約のものではなく、
  公共の福祉による制約を受けるとされているが、
  当該権利には、どのような制約がされているのか。
  → どのような利益と対立しているのかを認定することも重要
  → その制約の態様や強度を具体的に認定すること
  → 場合によっては、制約の認定が出来ないということもあり得る

4 当該制約はどのような場合に許容されるのか
 (いわゆる違憲審査基準。判断基準の定立。)

端的に書いてしまいまいたが、
上記のようなことを念頭に置いたうえで
条文・判例を精読していくと、
地に足の着いた学習が出来るはずです。

一般の憲法の議論は、とかく感情論等になりがちです。
政治的なものに陥りやすい。
思想がどうだとか考え方がどうだとか。

典型的なものとしては、死刑制度廃止論なんかが
挙げられます。

これも、本来は、どの条文からスタートする話なのか。
当該条文は、どのような趣旨で規定されたものなのか。
そこには、どのような判例の蓄積があるのか。
そこから、人権の保護範囲や利益の対立といったような
議論が展開されるはずです。

こういった、地に足の着いた議論をするのが、
法律家の議論です。一般論とは、そこが違うのです。
(どっちの議論が上とか下とかそういうことではありません。
 どういうスタンスで議論をするのかという手段の問題です。
 念のため。)

被害者感情がどうとか、
犯罪者の生命の尊さがどうとか。
それは、精緻な論証を経た上で、最後に出てくる話です。
(これを冷徹な人だとかそういう話にもっていくのは、
 自由です。それは、感情的な議論をしたいのか。
 それとも、法に則した議論をしたいのかという
 スタンスで変わるだけの話だと自分は思います。)

憲法の学習は、とかくこういったことに陥りがちなので、
ぜひ注意をして頂きたいと思います。

では。