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大河ドラマ「どうする家康」第24回雑感 ~慈愛による東国連合とは?~

慈愛による東国連合。

唐突と出てきた壮大な夢、この世から戦争を無くす瀬名のお花畑全開の策である。

歴史フィクションであるドラマの世界なのでどう描くのかは自由であると始めに断っておく。

お花畑全開と評したが、考え方自体は実に素晴らしいとは思う。

しかし、違和感というか、唐突感というか、考えが浅すぎというか、残念な感情しか起きず、瀬名への共感どころが何の感情も起きなかった。

こういう残念な感情を抱かせてしまったという意味においては、脚本が稚拙過ぎたと個人的には思う。
もっと上手く描けなかったものかね~。


瀬名の策のいう通り、経済的な相互依存が高ければ、戦争のリスクは確かに減る。
戦前の日本のように経済的に依存しまくっていた米国に対し戦争するというのは例外だろうが、歴史的には導かれた一定の結論だとは思う。

そして、織田という巨大組織に対抗しうる力を付けるため、統一貨幣を導入した経済的連合を作り域内で各個経済を補完し合い、戦争の根源である貧困を解消しようというものである。

確かに豊かな経済を実現出来そうだが、軍事力自体は敵から手出しされぬよう強固に保持しなくてはならないという側面は否定出来ない。

瀬名の策は平和的、進歩的だと評価する声を聞いたが、それはどうだろうか?

先ほど申した通り軍事均衡による牽制を肝とする以上、「強き獣」にならなければならないという意味においては、軍事力の保持、増強そのものは否定していない。
敵が鉄砲でしたらこちらも、大砲できたらこちらも、敵が戦車に乗って来たらこちらも、核兵器を持ったらこちらもという理論とも受け止められるが…

ドラマ上では、やっぱり、織田の巨大な軍事力、経済力を考慮すれば、瀬名の策は新たな分断と対立を引き起こしかねない危険な考えであろう

長篠、設楽原であれ程織田軍の力にビビりまくっていた徳川家中にもっと葛藤やら迷いやらがあってもいいものだが、意外にあっさり、淡々としていて拍子抜けした。
今回も家康は瀬名の話を聞くだけで全く存在感はなかった。

援軍として、武田の侵略から助けてもらった織田に対して、徳川としては正しい態度なのか?どうなのか?

とかく日本人は、連合と言った団結した組織、枠組み、連帯を好む。
みんなで団結一致して、ワンチームで事に当たれば、何とかなる、究極の目標、平和は実現出来ると。
左翼、リベラルが好きそうな考えである。
こうした考えに徳川家中は乗せられたのか。

軍人というリアリスト揃いの戦国家臣団にこんなことは絶対にあり得ない。
まだ、武田、徳川の二国間に限定した話なら、多少のリアリティを持つが…。

大事なことは、単にみんなが一致団結して組織を作ればいいと言うものではなく、目標に対し組織が機能するかである。
この手の組織を作りには、一体感とか連帯感というものを感じるだけの組織の自己満足、陶酔感を味わって終わりがちである。

組織のリーダーは何をするのか
各メンバーの利害は?本音は?目的は?
上杉、北条、伊達…立場や利害は様々だろう。
本気でみんなをまとめて組織するには膨大な手間と時間をかけ、笑われようが、馬鹿にされようが、最悪殺されようが、血のにじむような努力をしなければとても組織出来まい。
それを訴える覚悟が本気であるのか?

勝頼がおなごのままごと言っていたが、言い得て妙であると納得してしまった。

ドラマでは、何故、瀬名の策に賛同したのが久松、今川だけなのか?
上杉、北条、伊達は?
勝頼の父を超えたいという私情が全て悪いのか?
瀬名の策が進歩的すぎて時代が追い着いていかなかったのか?

脚本家は、現代のEUなどの国際組織をヒントに得たかもしれないが、複雑な国際情勢、多様な国家をまとめ組織立てることがいかに大変か?

はっきり言って綺麗ごとだけでは、人は動かない。
綺麗ごとの裏に、覚悟、苦労、努力がなければ絵に描いた餅である。
これは、なにもしないのと同じであるどころか、かえって新たな混乱と対立を生む害悪でしかない。

その辺りの描き方が甘すぎて、結局はあり得ない話となって面白味に欠けたのだと思う。
うわべを着飾っただけ、綺麗ごとだけでない、もっと強かな、深みのある瀨名が見たかったと思う。
次回にこの辺りもっと描かれるかもしれないが、今のところは脚本が救いようもなく浅薄で稚拙過ぎるとしか言いようがないと感じている。

そもそも瀬名を悪女ではなく、あくまでも悲劇のヒロインと描くことへの限界だろう。

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