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【大河ドラマ「どうする家康」雑感】~一向衆とは何か?について愚考する~

家康の家臣団を二分した壮絶な戦いとなった、いわゆる三河一向一揆。家康の長い生涯の中でも大きな試練と捉えられている。
いよいよドラマで描かれることになった。

ドラマの中で、わざとらしく小汚い農民に扮した松平家康は、小平太、平八郎と共に一向衆の寺内町に潜入。空誓上人に出会い、そこで上人の説法を聞く。

彼の説法は巧妙であった。
下ネタの笑いから導入し、親に捨てられた子の話につなげ聴衆の涙を誘い、子を捨てた親の罪を許す優しさと安心感を示すと同時に、世の中の理不尽に民衆と共に嘆く。
常に聴衆の感情に訥々と訴えかけ、聴衆の心を掴んでいく。
また、彼の考えは、来世利益、阿弥陀仏をひたすら信じ、南無阿弥陀仏を唱えれば現世の罪はなくなり、来世で報われるというものである。

無神論者ではないが、うまい話には裏があると何かと疑り深い私にとっては、その教義はまやかし以外の何ものでもなく、無責任、安易であり、上人の説法は胡散臭さ満載のアジ演説に聞こえてしまった。
しかし、当時の民衆にとってはありがたいことであったろう、長引く戦乱、飢饉、貧困、今の時代では想像もできないほどの絶望感からの救いを純粋に求めていただろうとは思う。

家康がただの農民でない、松平家康と気づいた上で、空誓上人は敢えて言う。
「あほうに銭を渡しても、あほうは戦にしか金を使わん。あほうとは住む世界が違うと。」

確かに、「厭離穢土 欣求浄土」を唱え、現世に浄土、理想の世を自ら作ろうとリアルにもがいている家康と現世の民衆の目の前の苦しみは解決しようとせず、来世のため阿弥陀仏をひたすら信じることが民衆を苦しみから解放させると言う上人の考え方は両者相容れないものがある。

しかし、実際、彼らがやっていることは何だろう?

一向衆は宗教集団であるというよりも政治的、経済的な支配を目指す武装勢力であって、根本は戦国大名、国衆の軍事組織と大して変わらないのではないか。

地域の経済を独占支配する。
戦となれば信者を兵に仕立て上げ、武具、鉄砲を揃える。
町の周囲には強固な堀、土塁、櫓を作る。
気に入らない相手には仏敵と言って圧力を掛け排除し、そのためには武力行使も辞さないという連中である。

やっていることは戦国大名と同じであるか、それ以上だろう。
私には空誓上人の言葉は空虚に聞こえた。

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