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土方歳三の新たな戦い


慶応4年4月、下野国蓼沼村・満福寺門前。

旧幕府軍別動隊参謀・土方歳三は、捕えられていた黒羽藩斥候3名を自らの手で斬首した。
これは隊の士気高揚のためと言われているが、かつての黒羽藩主で旧幕陸軍奉行の大関増裕の急死によって藩論を一変させた黒羽藩に対する怒りでもあった。

下総国・国府台からの道中、小山では譜代中の譜代とも言える彦根藩と交戦した。

さらには幕末期大坂城代を務め、京都時代の土方と面識があり共に上方で幕府に尽くした牧野貞直の笠間藩とも交戦した。

伝説の忠勇の士・鳥居元忠の末裔・鳥居家の壬生藩も西軍に付いた。

ここ満福寺に至るまで、この旧幕府軍に呼応する藩は一つもなかった。

土方の憤りは敵の西軍に対してというより、徳川家恩顧の譜代大名の不忠・不義に対して向いていたのではないか。

これまで、人一倍武士であることにこだわり続けてきた男である。
最後まで自分の生き方を貫き通す。
今は亡き盟友近藤勇への思いもあっただろう。
彼を裏切る訳にはいかない。
彼は鬼神と化した。


前夜の軍議では、攻略目標は西軍に付いた徳川譜代戸田氏の宇都宮城と決まった。

かつて鬼の副長として名を馳せた剣客集団のリーダーが、今度は近代的銃砲部隊の参謀としての能力を問われることになったのである。
それは、土方歳三にとって新たな戦いの始まりであった。(続く)

満福寺

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