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頼朝、安房で再起を図る(後編)

https://note.com/itohirosy2023/n/na6f0d55e1154

治承四年九月三日、平家方で安房国長狭郡(現千葉県鴨川市)を治める豪族長狭常伴が頼朝の宿所を襲撃しました。
しかし、『鎌倉殿の13人』の一人・三浦義澄が襲撃を事前に察知し、常伴を一戦場(いっせんば・現千葉県鴨川市)で迎撃、勝利を収めます。

この件は『鎌倉殿の13人』で描かれましたが、ドラマでは、三浦義村が鬼の副長を思わせる手際の良さで敵の襲撃を鎮圧しておりました。
そして、頼朝の強運、亀のところに夜這いしていたことで頼朝は危機を脱します。

しかし、地元の伝承では、この戦いで地元の漁師・仁右衛門が太海浜に浮かぶ小島の洞窟「源頼朝かくれ穴」に頼朝を避難させて危機を救ったと言われています。


頼朝は、人生最大の危機を救ってくれた仁右衛門にこう言います。
「わしが平家打倒を果たしたなら、おまえに安房一国を与えよう。」
それを聞いた仁右衛門は、安房一国を穀物の粟一石とお約束の勘違い。
「粟なら畑で取れます。それより私に名字と島とその近海の漁業権をください。」と言いました。

この件の史実してはさておき、平野の名字と島の領有など仁右衛門の申し出は認めてもらったのは事実のようです。
今なお仁右衛門島は代々平野仁右衛門さんが所有し、今年で38代目の当主が島を受け継いでおられる、千葉県最大の島として存在しております。

頼朝安房上陸以来、家臣たちは味方集めに奔走しましましたが、安房国中から頼朝のもとには多くの者たちが続々と集まってまいりました。

再挙の準備は着々と進み、頼朝一行がいよいよ安房を出立する日を迎えます。
『吾妻鏡』にはその日は九月十三日とあり、300騎の軍勢を率いて…とあります。

いざ出陣!

この時、おそらく多くの村人が頼朝の出陣の門出を見送ったのではないかと思います。
頼朝の宿所から上総、下総そして鎌倉に向かう道は、頼朝の戦勝を願う地元の村人によって雑草がきれいに刈り取られ、掃き清められました。

頼朝は清々しい気持ちになり、こう言います。
「わしらの出陣のため、街道の雑草を刈り掃き清めさせたのはそなたか?そなたには、安房一、いや…刈込(かりこみ)の名字を与えよう。」
それを聞いた村人は「安房一国くれるんじゃないんかーい」と思ったとか、思わなかったとか…。

因みに刈込の苗字は私の母方の名字です。
私のご先祖様は安房一国もらう気満々だったようでした。(諸説あり)

頼朝ご一行の安房での滞在はわずか2週間ほどでしたが、再起の一歩を踏み出した記念の土地でした。
気候温暖、風光明媚、山海の幸にも恵まれ、無欲の住民によるおもてなしファーストの国・安房はまさに頼朝にとって再起のため英気を養うのに最適の地であったのではないでしょうか。

是非ともそんな安房に皆さまも足を運んでいただけたらと思います。

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