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【大河ドラマ「どうする家康」第9回雑感】~家康包囲網突破できた要因~

誤算はあったが、三河一向一揆は、結果的に見れば、戦はそれ程泥沼化せず、終結。
矢作川流域を支配下に起き、吉良、大草松平などの反家康勢力を駆逐出来、家康の勝利と言っていい。

家康勝利の要因は何であったか?

鳥居忠吉の諫めにより、家臣を信じ覚悟を決めたのが要因だろうか?
三河家臣団の結束の勝利というのは確かだが、それ以上に一向宗側の戦術、組織の失敗があり、これに家康は助けられたと私には思える。

そもそも、この一揆では、大坂本願寺から指示がなく、支援も無かった。尾張の一向宗寺院や伊勢長島願証寺などに応援を呼んだ形跡もなかったらしい。
則ち西三河の限られたエリアでの戦いであって、信徒を広く一斉に蜂起させたという訳ではなかった。

しかも、吉良、大草松平、荒川などの国衆たちの足並みも揃っていなかったのではなかろうか?
ドラマでは、吉良、松平昌久の小者の悪巧みっぷりが見事でした。

空誓上人は、あくまでも信徒の生活を守るのを第一に蜂起したのであって、国衆たちの支援を目的とした訳ではなかった。
おそらく、教団が反家康勢力に利用されていることに気づいていただろう。
これでは教団と国衆たちとの連携はうまく行くはずはない。

上人は、進めば極楽浄土、退かば無間地獄と戦いを推し進めたが、戦いが進むにつれ多くの戦死者、負傷者を出し、結果的に信徒を苦しめているという教義と現実の矛盾にも気付いてしまったようだ。
ドラマでは信徒たちの前で土下座して手を付いて謝っていたシーンがあった。自らの過ちを認め戦を止めることを勇気を持って決意する空誓上人を単なるアジテーターと誤解してました。スミマセンでした。

NHK大河ドラマ「どうする家康」第9回の一場面
本多弥八郎は和睦すべきではない、徹底抗戦を訴えていたが…やるせない表情が印象的である

ドラマとしては感動的なシーンだったのかもしれないが、勝ち負けをあくまでも追求する戦いという中では、厳しい話だがリーダーがこれでは戦えない、はっきり言って負け確定である。

あと、和睦のタイミングはどうだったか?
和睦勧告の声の主は、水野信元というか、織田信長である。

武田、今川の動向を考え、美濃の攻略に集中したいという理由からであるが、それよりも、尾張国内、伊勢長島の一向宗勢力に飛び火したら大変なことになる、その前に早期に解決した方が良いという理由からであろう。
水野は勝ったとしても三河はボロボロじゃと諭していたが、決して家康を助けようとかは考えてはいない。
領国への一向一揆の拡散が心配なだけだろう。

しかし、理由はどうであれ家康にとって長期にわたる殲滅戦にならずに済んだ。何はともあれ家康包囲網突破できたということは大きい。仮に信義に反した和議であったとしても。

弥八郎は「過ちを犯したのは殿」と叱責していたが、確かに過ちもあったが正しくもあった。
今回の結果が本当に大きな意味を持ってくるのは後のことだ。

大坂本願寺との対立抗争で、本願寺顕如が尾張、三河の一向宗寺院に武田信玄の西上に呼応するよう武装蜂起の呼びかけを行うことになる。
しかし、三河では中核寺院がこの時破却されていたため一向宗門徒の決起が起きず、結果的に家康を救うことになる。
三方原の戦いは元亀3年。和睦から9年後のことである。



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