飢餓の村で考えたこと 11

鶏の流通

村で肉カレーを作るのはお祝いの日か金持ちに限られていたので一般的ではなかったが、ダッカには肉を販売しているところがあった。イスラム教の人は豚肉は食べずヒンドゥー教の人は牛肉は食べない。だから鶏肉はよく食べられていた。

冷蔵庫は高価なうえに頻繁に停電するため普及しておらず、鶏は生きたまま販売されていた。直径2メートル位の丸い竹の籠に大・中・小の大きさに分けられた鶏が入っている。この生きた鶏を買うと足を紐で縛ってくれ、それを下げて家に帰る。

ダッカ事務所の料理人モジット君は15歳くらいだった。日本で言えばジャニーズ系のイケメン顔だ。料理の準備の時、私はよく彼に手伝いを頼まれた。鶏が暴れないように足と羽をしっかり持ってと言われた。彼はベンガル式包丁を持って「私の名前はモジットです、○○」と言って鶏の首を皮一枚残して切った。

イスラム教徒であるモジット君は生き物を殺生するときは真西を見て、祈りをささげる。私の手には鶏が最後に振り絞った体温ともがきが伝わった。彼は皮一枚だけで頭がつながっている鶏を庭に向かって高く投げ上げた。鶏はしばらくバタバタしていたが動かなくなったので水場で解体し、1時間後チキンカレーが食卓にでた。

鶏の肉は痩せているが引き締まっていて美味しい。田舎から鶏をダッカに運ぶ方法はバスの屋根の上に鶏が入った大きな竹かごを載せて運ぶ。ある時は子ヤギ8頭位を連れた人がバスに乗り込んできた。子ヤギは乗客の足もとでうろうろした。その当時はトラックもあまりなかった時代だったので、都会にいろんなものを運ぶ方法としてはバスもよく使われていた。

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