飢餓の村で考えたこと 6

飛び立つ

1976年(当時24歳)どんなことがあっても少なくとも3年以上はバングラで活動しようと心に決めてタイのバンコクを飛び立ちバングラに向かった。バングラの無給NGO駐在員になるためだ。

赴任直前に現地駐在員からの手紙が届いた。その内容はライフルをもった強盗団が村の日本人宿泊所がある大家宅を襲ってきたが、日本人の宿泊所は内部から戸口にバリケードを作って侵入を防いで助かったことが生々しく報告されていた。いよいよ危険性が高いであろうNGOの駐在員生活が始まるのだ。

首都ダッカに向けてバンコク国際空港を飛び立つ飛行機の中で、緊張感で体を硬直させて離れていく滑走路を凝視して心に焼き付けた。再びバンコクに帰り着くことができるのだろうかと考えながら。

私の中学時代の担任の先生は特攻隊員だったそうで終戦がなければ生きておられなかった。時々授業中に特攻隊員は消耗品のような存在だったと話をされていた。バンコクを飛び立つ私は、危ない国に行くので特攻隊員に似たような気持ちではないかと自分で勝手に想像していた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?