飢餓の村で考えたこと 8.9.

小旅行

活動するポイラ村に入る前の研修の意味も兼ねてもっとバングラのことを知る必要があるというので、ダッカの東にあるコミラという町に初めて一人旅をすることにした。ズボンの代わりにベンガル人の男性が着る筒状の布を腰に巻きつけるルンギを着てコミラを歩き回った。日本で言うなら浴衣を着た外国人が町を歩いているようなものかもしれない。駐在員からバングラ人は初めて会う人には必ず20の質問をしてくると聞いていた。その20の質問と答えをベンガル語発音でノートにカタカナで書いて準備はばっちりだ。

パンダの気持ち?

当時のコミラは小さな田舎町だった。田舎道を歩いていると喫茶店(?)のおじさんが声をかけてきた。紅茶をごちそうするから寄っていけという。独立戦争からまだ数年しか経っておらず世情も落ち着いていなかったので、バングラ国内を旅する外国人は珍しい存在だった。日本人だと言うと瞬く間に50人位の人たちが私を見に、その小さな喫茶店に集まってきた。女性たちは姿を現さないが窓影に隠れながらこちらを凝視していることが分かった。男性は店の中に入ったり窓から大勢顔を出した。お茶とお菓子を出されて代表質問者が私に聞いてきた。この時の代表質問者は声をかけてきたおじさんだった。このような場はその後のバングラ滞在中、何回も経験することになった。そこでは集まった人の中で我こそは代表質問者にふさわしいと考える人が皆を代表して質問をする。通常その場の人たちの中で服装などから、学歴があり最も名士と思われるような人が代表質問者になっていた。他の皆は耳をそばだてて一問一答を聞いた。彼らにとってはまだテレビもラジオも家には殆どない時代だったから、日本のニュースバラエティを生で見られるという感覚に近いのだろう。準備していた20の質問が的中したので何を聞いているのかも分かった。準備した答えを見物人たちに向かって大きな声で読み上げた。ベンガル語の発音は日本語によく似ているのでカタカナ読みでもしっかり伝わった。このような場は行く先々でつくられ、ある時は畑のあぜ道ではじまる時もあった。そんな時は学校のクラス写真のように小さい子供がかぶりつきの席に、その次は中腰、背の低い人、高い人の順にきれいに並んだ。私はそのカメラマン席にいるような位置取りだ。50人から150人位はどこでもすぐに集まった。上野のパンダもこんな気分だったのかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?