飢餓の村で考えたこと 7

ダッカ(首都)の様子

バングラデシュのダッカに到着した。赴任前には環境や文化が極端に違う国では、カルチャーショックを受けるだろうと周りから心配された。

しかし出発前にいろいろな人の話を聞いたり、ベンガル映画を見たり、本で調べたりして頭の中で想像を膨らませたおかげで、ショックを受けることはまったくなく、むしろ福岡出身者の自分にとっては東京での生活の方が違和感があり、バングラの生活の方が自分に合うのではないかと思えた。

バングラに到着すると事務所での会議の合間にダッカの町をひたすら歩き回った。道には人々があふれており、上半身裸の男の人たちも大勢いいてごみごみと埃ぽかった。

そんな騒々しい道路からちょっと入ったところに小さな池があった。池のほとりに髭をたくわえた上半身裸の一人の老人がしゃがんでいた。その老人は私が当時空想していたギリシャの哲学者ソクラテスと重なった。

池の向こうに沈んでいく夕日をじっと眺めている。夕日に心奪われ、ただただ夕日を眺めているようだった。その姿は私自身の中学時代とダブッて見えた。玄関の前で一人座って福岡の油山に沈んでいく夕日をいつも小一時間ずっと眺めていた自分と重なったのだ。

夕日を眺めている間は無心で、夕日の美しさに心を奪われた感覚が愛おしかった。24年間生きてきてまだそんな人に出会ったことがなかった。バングラでそんな老人に出会い深い感動を覚えたのだった。


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