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本 飢餓の村で考えたこと

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1976年から77年に私はNGO駐在員としてバングラデシュの飢餓の村で活動しました。その時の経験を書いた本です。人類史の大部分は飢餓に近い状況の中で生きてきた人間、歴史を考える時…
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#駐在員

飢餓の村で考えたこと 57.58.59

切り方を変えて 私はアハモッド君に一度だけ料理についてリクエストしたことがある。その…

飢餓の村で考えたこと 55.56

料理人アハモッド君 村には私ともう一人の日本人駐在員が生活していたが料理作りは村の人…

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飢餓の村で考えたこと  53.54

サムスール・ホック君 私がポイラ村に入る前から、シャプラは活動を進めるために村の青年…

飢餓の村で考えたこと 51.52

1976~77 まるで江戸時代? ポイラ村で米を脱穀しているところを見た。庭の土は牛のふん…

飢餓の村で考えたこと 49.50

学校に行ってないこと バスの行先を訊ねて嘘をつかれたことで大変な目にあったことがある…

飢餓の村で考えたこと  14.15

貧しさの原因 当時バングラの中でもポイラ村は度を越した貧困状態にあった。初期の駐在員たち…

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飢餓の村で考えたこと 12.13

大工がバスを バスから外の風景を見ていると木でバスの骨組みを作っているところを見てびっくり。バスのボディの骨組みは木で作られていた。それに鉄板をつけて絵を書くのがバングラ風だ。急に雨が降った時は運転手がむき出しの離れた線をねじってつないでワイパーを動かしていた。なんでもありがこの頃のバングラのバスで何回乗っても飽きない。 極貧のポイラ村 ポイラ村はダッカの西にあり、当時片道を行くのにほぼ1日を要した。私がポイラ村にいたのは1976~77年だった。バングラの歴史を書いた本

飢餓の村で考えたこと 10

気合のトイレと食事 最初の1回目だけ「エイッ」という気合が必要だったのがトイレと食事だ。…

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