飢餓の村で考えたこと  14.15

貧しさの原因

当時バングラの中でもポイラ村は度を越した貧困状態にあった。初期の駐在員たちは活動する村を探すことから始めた。まず信頼できるベンガル人から推薦してもらった4つの村をすべて調査してから活動する村を決めるはずだった。

しかし初めに調査したポイラ村のあまりにもすさまじい貧困状態を見て、他の村を調査しないままこの村で活動することを即決したのだった。それほどこの時のポイラ村の貧困はすさまじかった。

ポイラ村は多くの歴史の本に出てくる言葉「飢餓」そのものの状態にあった。ポイラ村で生活しながら「こんなに豊かな自然環境があるのになんでこんなに貧しいのか」と私はいつも自問自答せざるを得なかった。

私が考えたその理由は、人口が多いこと、識字率(読み書きができる人の率)がきわめて低く学校に行ってない人が多いこと、独立戦争直後で戦争の傷跡がまだ癒えていなかったこと、伝統的な村の仕組みに存在する富の分配の極端な偏りなどが原因しているのではないかと考えた。歴史的要因としてはイギリスに190年近くも植民地とされ、搾取され続けたことも大きな要因となっていると実感した。

伝える使命

こんな極度の飢餓の状態にいる人たちの中で生活体験をした日本人は極めて少数だろう。だから自分は日本の人たちに目の前にある真実をそのまま伝えなければという強い気持ちがいつも湧き上がっていた。それを自分の人生に課せられた使命のように思い、これまで生きてきた。

それがこの本を書く最も強い動機づけとなっている。人々は歴史書に出てくる「飢餓」という言葉をどのくらいの実感で理解しているのだろうか。

人類史の中で人間は17万年の間、環境への適応と進化を繰り返して今の現代人となった。私たちは1日3食を飽食に近い形で食べることが当たり前となっているが、それはわずか100年位前から始まった。

それまでの17万年の殆どは、恵まれた環境の人たちを除けば、多くの人々は満足な食にありつけない状況で生きてきた。だから少しの異常気象や戦争などがあった場合にはすぐに飢餓に直結したのだと思う。

私たちは人類史の主要な部分ともいえる「飢餓」というものをどうしても理解する必要があるだろう。そんな意味でも私がポイラ村の体験を語ることは重要ではないだろうか。


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