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本 飢餓の村で考えたこと

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1976年から77年に私はNGO駐在員としてバングラデシュの飢餓の村で活動しました。その時の経験を書いた本です。人類史の大部分は飢餓に近い状況の中で生きてきた人間、歴史を考える時…
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#NGO駐在員

飢餓の村で考えたこと 22.23

理念では解決できない 当時私を派遣したNGOの理念とは私の理解では「まず我々は貧しい人たち…

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飢餓の村で考えたこと 20.21

伝える難しさ お腹を空かせている人たちのことを理解することは村で生活していても大変難しい…

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飢餓の村で考えたこと 18・19

子供の一言 村人の多くは自分の土地がない日雇いの農民だった。その人たちは地主に雇われた日…

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飢餓の村で考えたこと  14.15

貧しさの原因 当時バングラの中でもポイラ村は度を越した貧困状態にあった。初期の駐在員たち…

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飢餓の村で考えたこと 12.13

大工がバスを バスから外の風景を見ていると木でバスの骨組みを作っているところを見てびっく…

飢餓の村で考えたこと 10

気合のトイレと食事 最初の1回目だけ「エイッ」という気合が必要だったのがトイレと食事だ。…

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飢餓の村で考えたこと 3

 はじめに 1972年独立戦争直後のバングラデシュ(以後バングラと表記)で復興支援をするために日本のキリスト教系のいくつかの団体が合同で、現地で日本製耕耘機を動かす人を募集した。その活動に参加した約50名が4か月間現地の農村で耕耘機を動かして復興支援活動を行った。そしてこの復興支援活動から2つのNGOが生まれ、そのひとつが「シャプラニール=市民による海外協力の会」(以後シャプラと表記)である。 私(著者)は発足間もないシャプラの駐在員として1976年から77年にバングラの

飢餓の村で考えたこと  4

NGOとは この文章のなかで「NGO(非政府組織)」という用語を連発している。現在ではもうNGOと…