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東京から唄う八重山民謡 ことはじめ

はじめまして。編集とライティングを生業としています。イトヘンは個人事業のときの屋号です。現在は人文系の大学内にある出版会に勤務しています。ですので、看板を下ろしたつもりはありませんが、イトヘンとしての仕事は休業中です。

普段の仕事では、もっぱら人文書を編集しています。ライティングはというと、編集した本の帯にコピーを書いたり、本の広告を書いたり、本の広報のためにツイートしたりするぐらい。

編集業のスタートは新聞記者だったこともあり、2020年にいまの職場に勤め始めるまでは、ライティングもたくさんしてきました。書くことが大好きでしたし、書くことが一番の特技だろうとも思っていました。

でもあるころから、業務として文章を書くのがややしんどくなりました。調べたり取材したりして書くことは、都度都度新しいことを知って楽しかったのですが、だんだん自分の興味の方向が定まってきてしまって、精緻に文章で表現できるほど何かを新しく詳しく調べることに、テンションが上がらなくなってしまったのです。

思い返せば新聞記者時代、何か好きな分野を極めたほうがいい、と先輩記者からアドバイスされました。なんでもかんでも興味を持ったり、興味を持ったものに対して駆けずり回って調べたり、人に会って話を聞いたりということが、年を重ねるとやりにくくなると、先輩はわかっていたのでしょう。得意分野だったら、いつまでも関心を保ち続け、かつ素地がある状態で書くことができます。

それをしかと理解する前に、新聞社が倒産して野に放たれたために、わたしは分野を極めることなく、あれこれ書き仕事を引き受け続け、そして行き詰まりました。でも悲観しているわけではないんです。ある日、すうっと、もう書きたいことができるまで、書くのはやめておこうと思ったのです。

じつは書きたいことは、その時点ですでにありました。2016年に始めた八重山民謡のことです。東京に住みながら、日本の最南端である八重山諸島の音楽を、毎日毎日考えています。興味が尽きないんです。飽きないんです。周りの人に話したくて話したくてしょうがないのに、周りの人はほとんど興味がありません。1、2回なら話を聞いてくれる心優しい人はいますが、それでは話したい欲が満たせないんです。

これぞ、書くべきことではないですか。

しかし八重山民謡を書きたいと思いはじめたときには、まだ職業ライターでしたので、書くならお金にしなくてはならない。売り物にしなければならない。すぐにお金にできる話題だろうかと、しばらく悶々と悩みながら、まったく関係のない書き仕事を続けていました。

そんなときに、先ほど言った、すうっ、がやってきたのです。しかも、書き仕事をしばらく辞めようと思った矢先に、いまの職場に就職し、業務を編集に絞ることができました。

そう、もう、気ままに書いていいんです。なんたって書くことの前提から対価という条件がなくなったのですから。

いや、考えてみれば、すぐに稼ぎになることを期待せずに書くことは、以前にもできたはずなのですが、そこはほら、やはり誰でも、日々の生活の糧は必要ですから。

かなり回りくどい自己紹介になりましたが、これからポツポツと、東京から見た八重山民謡について語っていきます。これまで言語化されている八重山民謡論とは、一味違うはずです。多くの方は八重山民謡論など目にされたこともないと思いますが、とても厚い蓄積のある分野です。ですが、八重山諸島の外からこの分野を書いている人はあまりいません。それぐらい八重山民謡は地元のものだったと言えます。

そこに島外から挑もうなんて大それたことを考えているわけではなく、島外から見ると不思議に思うことがたくさんあるものですから、それを綴っていければいいなと考えています。というわけで、八重山民謡にとくに興味がない人にとっても、「異文化体験」のようなものになるのではないかと思います。

長年、編集業をしているわたしの珠玉のネタを、東京から唄いながら書き綴っていきます。


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