見出し画像

じつは書き溜めてあった原稿について

初回の投稿で自己紹介をした後、11ヶ月が経っていました。気合がたった1回で途切れるなんて、恥ずかしいばかりです。

言い訳でしかないですが、昨年度は本職の職場の周年事業があり、事前の予測通り、猛然と働いていました。その余波がまだ続いていて、なにか書こうにも物理的に時間がありませんでした。書くより睡眠でした。

ただ、その繁忙期に突入する前に、わたしは、八重山民謡にかんして、まとまった一つの原稿を書いていました。とある出版社が開催する賞に応募するためだったのですが、落選してしまいました。

いま読み返すと、急いで書き上げたために詰めが甘いところがあったり、強引なところがあったりして、荒削りの原稿です。少しだけ理由があって、わたしが所属している流派の掟なのか、わたしが師事している三線の師匠の考えなのか、よくわからないのですが、流派が授与する「教師」の免状がない間は、民謡にかんすることは師匠の管理下で行わなければなりませんでした。

人前で唄ったり、民謡についての見解を語ったりできるような技量ではない、ということではあるのですが、実質的に「生徒」の身分でできること、語れることは限られていたわけです。

しかしそこは、ライターですから、「ただの生徒」という立場だから書けるもの書いてやろうとして書きました。入門したてのころの、歌唱や演奏の技術的な戸惑い、描写される歴史的事象の意味を知ったときの衝撃など。後進育成が課せられた「教師」ではない、学ぶ一方の「生徒」として、気ままに語りました。師匠に見てもらって、まあ、これなら、と公表を許され、晴れてエントリーしたわけです。

落選で多少は落ち込み、本職の忙しさもあいまって公開の機会を逸したまま、わたしはこの間に「教師」になりました。いま書くなら、確実に違う視点になりそうです。でもお蔵入りさせていた原稿も、粗はあるものの、これから八重山民謡を始める人や、八重山諸島外で唄い始めたばかりの人には、むしろ近しい視点で読んでいただけるかもしれないと思い至りました。

というわけで、1年半前に書いたものなので、気恥ずかしさ満点ですが、短篇エッセイ集を1篇ずつ、アップロードしていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?