読書感想文(Blue)
葉真中顕さんを認識したのは罪山罰太郎名義の羽生・久保竜王戦の記事が最初だったはず。
羽生善治 神の一手! | ガジェット通信 GetNews
当時は自分もリアルタイムで観戦するくらい熱量のある将棋ファンで、この手の分けわからなさをうまく文章にしているなあ、と思った記憶があった。
その後、作家になるということでブログを閉鎖して、記事も全部削除と思い切りのいいことをするなあ、と思い、いつか出たら作品を読んでみようと思ったまま、すっかり忘れていた。大体自分はそういう人間なのだ。
その後、結婚式か葬儀かどっちか忘れたのだけど、何らかの事情でバスだか在来線だかで長時間の移動になることが分かったので、ちょうどいい読み物がないかなと書店を探していた時に、ふと思い出して買ったのが氏の『コクーン』だった。
これがとても面白かった。作品ジャンルの位置づけは難しいのだけど、いわゆるホラーやダークミステリーといったものの一つの期待されるあり方として「こんなひどい世界と比べたら現実(=自分を取り巻く)世界はだいぶマシだな」という感覚があると思うのだけれど、それが見事に物語の後半に裏切られていく。ここの現実世界の相対化の仕方が秀逸で、ああこれは他の小説も読んだ方がいいなと思って、『ロスト・ケア』、『絶叫』と読んだ。
残念ということでもないのだけど、読んだ中ではまだ『コクーン』が一番だ。とはいえ、『絶叫』の語りの仕掛けはやっぱりよくできているなと思ったし、いずれ全作品を読みたいお気に入り作家にしっかりと入っている。
そして、小説を読みたい気持ちになったので買ったのが本作『Blue』。
自分も物心ついたときから平成とともに生きているので、出てくる単語とその単語を使ったリアリティの生み出し方は凄くよかった。ああ、そうだよな、という気持ち。読んだことないけど、『なんとなく、クリスタル』を主人公と同じ立場で注釈なしで読む感触なのだろうか。
社会問題の絡め方も上手で、ただの「お話」で終わらせてくれないのも実に作者らしい作品には仕上がっている。
のだけれど、やっぱり『コクーン』は超えられなかった。そして自分の中では『絶叫』も超えることは出来なかった。『絶叫』は絶対的な悪と、それを超克することによる主人公の成長(そしてそれが2回もある)がある意味では最大のカタルシスなのだけれど、そういったカタルシスがなかったところが一番の差かなあ。
カタルシスがないからダメだ、というわけではないのだけれど、物語のラストに置かれているある種の希望といえそうな二つの描写が、どうもしっくりこなかった。それは中心人物の闇を晴らすものでも深めるものでもないし、あるいは抱えている社会問題への提起でもない、というのがどうも引っかかってしまった。
平成という主題となる時代の終わりを総括するようなきれいなラストを期待してしまう自分もいたが、まあ、そもそも平成という時代もそういう終わり方じゃなかったしな。気持ちとしては、平成がテーマならもっと絶望的な終わり方でもよかったんじゃないかなぁ。だって、終わったとて何もよくなってないもの。終わりの始まりから始まって、終わりの終わりにもなれなかった時代、それが平成。ある意味では平らになってるな。