歴史的事態について思うこと

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歴史的緊急事態、という表現の大げささに対して、実際それはちゃんと文章に残そうね、という意味だけであるというのは、最初に聞いたときに驚きを覚えた。それとともに、いわゆる考古学と歴史学の差は何か、ということを端的に示す事例で非常に面白かった。

歴史とはつまり書き記された時の流れのことであって、歴史学は書かれたものがベースとなる。一方、考古学は古きを考えることであって、遺構や出土品から当時のありようを考える学問だ。もちろん、お互いがお互いを補完する必要があり、歴史においても出土品をベースに考えることは大事だし、文書があるならば考古学においてもその当時の文献にあたることは重要であるのは言うまでもない。どちらが優位という話ではなく、どちらも欠かすことは出来ない。

翻って、あえて「歴史的」ということを明言する必要性に思いをはせると、それはすなわち歴史学によって我々は多くのことを学び、さらにその歴史で犯された過ちを二度としないようにするため、記録を残すことが重要だ、という共通認識があるのだといえるだろう。

今自分がこうして記録していることも、ひょっとしたら100年、1000年後の時代で役に立つことかもしれない。そういうことを考えながらこのニュースの意味を考えると、現政権がこの重要な議題について、たとえそれが手続き上正しかったのだとしても(それも怪しいが)、記録を残さない、という判断をしたことがいかに罪深いことなのかと思う。そして、それがこの政権下で繰り返されていることの意味を、国民は真剣に考える必要があるだろうと思った。

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