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擬態する感情

天井にシミができた。
人ふたり覆うほどの大きなシミだ。

イトグチヤが冬休みに入ってからというもの、日々増していく寒さと湿気に負けないようにと、換気と火入れだけは毎週欠かさず続けてきた。
にもかかわらず、今私の頭の上にはメタモンのような形をした模様が張り付いている。
心なしか天井が紫に見える。

あと、なんだかいつもよりフローリングが冷たい気がする。
視線を落とした先には、これまた大きな水溜り。こっちは水色のメタモンかぁ。

受け入れ難い現実に、一瞬ポケットからモンスターボールを出しかけたがすぐにしまった。ギリギリ正気を保った頭の中に雨漏りという言葉が浮かんだのだ。

「アマモリ、ドコ」
裏口から急いで外に出る。日に当たったつっかけが、水に濡れて冷たくなった足先を溶かす。

もともと茅葺だったこの家の屋根は、傾斜がキツく、上に登らなくても大体の状態は見える。
上着を持って来れば良かったなんて考えながら、ぐるっと見上げて回ったがそれらしい穴は見当たらない。この日は結局、原因はわからずじまいだった。

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水道管の凍結に、納屋にできた蜂の巣。ちょっと目を離した隙に、ありとあらゆる隙間から自然の力が入り込んでくる。
その度に、「――きっと、暮らすということは自然にのまれていくことなんだろう」などと自分を落ち着けてきた。
が、今回の天井に関してはどうしても心がざらついて気持ちが悪い。


「なんで。」
買い物に行こうと車に乗り込んだところで声が漏れた。

「なんで。こんなに手をかけてきたのに。」
こうなったらもう止まらない。車内を舞った言葉はLINEへと場所を変え、同居するパートナーに送信される。

誰が悪いなんてことはない。起きてしまったことはどうにもならないのも分かっている。でも、なんで、どうして、は一向に止まらない。
この、疑問に擬態した怒りを、誰かに受け止めて欲しかった。


こんなに腹が立ったのは久々だった。
当方、割としっかりめのポンコツなので、怒られる側の気持ちは痛いほどに知っている。
ゆえに私が人に対して怒りをぶつけることは滅多にない。

だが今回、怒りを聞いてくれるパートナーは居ても、怒れる対象は存在しなかった。それは私にとって、都合のいいことだった。

だって、私は怒りたくて怒ったから。
怒ることで、体力を消耗したかった。


タイムラインに浮かぶ誰かの怒り。あなたは、その怒りに自分の経験を重ねて、ぐつぐつと腹わたを煮たことはないだろうか。
理不尽な目にあって泣く友人の話を聞きながら、早くなる鼓動に気づいたことはないだろうか。

私はある。

共感してるのかといわれれば、そうなのかもしれないし、そうではないかもしれない。もしかしたら、「怒りたい」という欲求自体が存在するのかも。と思っている。

もちろん、全ての怒りが「怒りたい」という欲求からきているものだとは考えていない。人に悪意を向けられ、怒るべくして怒る場面もあるだろう。
だが、そんな誰かの怒りに乗っかって、えい私も!と発散している人は、それなりに、よく、見かける。

怒るべくして怒っている人物と、それを取り巻く人物。
外側で渦を作っている人の中には、自分が怒ってもいい理由を探している人もいるのではないだろうか。

いや、みんな怒るべくして怒っていて、私がやべえやつなだけの可能性も十分ある。人の心の中なんて見えないし、感情ひとつひとつを掘り下げて向き合えるほどみんな暇じゃない。

ーーそこに、擬態した感情が一つぐらい混ざっていても、きっと誰も気づかない。


ーー

ご近所さんから電話がかかってきた。

「イトグチヤさんとこ、外に洗濯機置いてるやろ?そこの蛇口、この前めちゃくちゃ吹き出してたのよ〜!ものすごい勢いで屋根の内側濡らしてたから止めさしてもらったわ〜」

私の怒りは、蛇口を締め忘れた自身のポンコツさに叩き潰され、土へと還っていった。

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