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高橋望叶 きれいじゃないけれど、好きな人 (小説屋③)

 これは、私の短編「小説屋③ 高橋望叶」である。
 郵便小説と銘打って、めがね書林で販売している。
 郵便小説とは、何か。A4用紙に書かれた、私の短編が、封筒に入って、あなたの郵便ポストに直接、届くという趣向である。
 思いついたときは、似たようなアイデアはあるにしても、なかなか面白い、と思ったのだが、たいして売れなかった。

 この高橋望叶にしても、気合を入れて書いたものだが、売れない。ということは、読まれない、ということである。
 ので、noteで発表することにした。

 ご興味を覚えたかたは、めがね書林のホームページをご覧ください。

https://meganeshorin.thebase.in/

 郵便小説のなかには、私の他の本に短編として収録したものもある。

 途中から有料になります。


              *


 愛する準備はさ、いつだって出来上がってるわけなんだけれど、なんでかね、愛されることがないわけ 童貞コンプレッサー


 この春、小説屋をオープンした。小説屋とは、アイデアがあって、小説を書きたいが、さまざまな事情から書けないでいるひとからアイデアを譲り受け、その話をベースに小説を書く商売である。
 商売なので、料金が発生する。私の著作権は、放棄する。ただし、これはあくまで私的な使用に限り、もし商業雑誌等に発表する場合は、別途、取りきめをしたい。
 原稿用紙の枚数は、アイデアの大きさや数によるが、目安は10枚だと考えている。それくらいの長さが、ちょうどよいのではないか。それ以上の枚数になると、さらさらとは書けないからである。発注から納期の期間にもよるが、お客さんをそれほど待たせないで、完成する。それが10枚、と私はみている。
 お客さんがその小説を気に入らなかった場合は、どうするか。その小説のアイデアはお客さんのものである。だが、書いたのは、私だ。そのときはそのとき、考えたい。と思う。
 そんな商売が成り立つかどうかは、未定である。とりあえず、やるだけはやってみようと考えている。
 以下の小説は、以上のプロセスにのっとり、書かれたものだが、お客さんからノーの返事をもらったものである。いいわけめくが、作品のできばえそのものではなく、個人的な嫌悪感ということだった。どこに嫌悪を覚えたのかはわからない。それこそ個人的な経験に根差したものなのだろう。
 料金はもらっていない。アイデアを提供したお客さんから好きにつかっていいと言われたので、ここに発表することにする。

       *

「高校時代は、おっぱいのことばかり考えていた。おっぱいは正義だった、いやおっぱいが正義だった。当時、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読んで、これだ! これこそ僕が求めていた本だってガッツポーズをしたね。ホールデンは僕だってね。何千っていう子供たちがライ麦畑にいて、そばに崖があって、崖から転がり落ちそうになるその子たちをつかまえて、危険から守ってやるんだって、僕は思った。その年代では、誰でも感じるありきたりで陳腐な感想だったけれど、『ライ麦畑』がはずみになって、僕はたくさんの本を読んだ。『ライ麦畑』きっかけだったからか、アメリカ文学が多かった。アップダイクとか、カポーティとか、リチャード・ブローティガン、ミルハウザー、ピンチョン、レベッカ・ブラウン、ドン・デリーロとかだ。フランス文学もすこし齧った。村上春樹さんも読んだ。本は面白かったし、わくわくした。充実していた。非リアル・充実さ。内的なリアルの大爆発だ。まあ、僕にとって内的な充実こそがリアルだったのだけれど、それは、通常の意味ではリアルとはいわないようだった。高校生のリアルとは、繁華街で集合しては遊んだり、日曜日は女の子とデートしたりすることを指すのだ。しかたがない。僕はたいてい一人だった。いまならさしずめぼっちといわれているところだろう。便所めしはしなかっただろうけれど。むしろ堂々と一人で食べているようなタイプだった。教室の片隅でね。僕はおっぱいのことばかりを考えているような男だったのに、素敵な女の子との出会いがなかったんだ。いや、というより、素敵じゃない女の子とも出会えなかった。高校時代は、女の子とろくに口をきけやしなかったんだ。そういうものさ。クラスメイトで、素敵な女の子は何人か、いたのにね。愛する準備はできていたのに、他人から愛されることがなかったのだ。本を読む男性はモテる、という雑誌の特集を見たことがある。本を読む男性はモテるんじゃなかったの? と僕は声を限りに叫びたい。責任者、出てこい、といいたい。僕は内的な感情の発露を表に出せない人間なのだ。行動できない。シャイで、奥手だった。「TOO SHY SHY BOY!」さ。観月ありさだよ。ごめん、知らないか。ちなみに、僕が読んだのは、野崎孝さんの訳だ。野崎孝訳で文章がなじんでいるせいか、村上春樹訳は、ぴんとこなかったな。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というタイトルだってキャッチャーという単語をどう日本語に訳すか、というのが、翻訳家の腕の見せどころじゃないのかと思うのだ。そのままにしておくなんていうのは、翻訳家として怠惰にしか思えない。村上さんは、キャッチャーはあくまでキャッチャーとして存在していて、ほかの訳語はあてはまらない、というかもしれないけれどさ。『グレート・ギャツビー』も同じさ。グレートという単語を訳してほしいんだよ。村上さんらしい、センスのいい日本語を見つけてきてさ。村上さんの小説は大好きだけれど、あえていいたい。間違っているかもしれないけれど。
 当時はまだレコード全盛期だった。というか、レコードしかなかった。アルバムはLP、シングルはEPといっていた。CDはなかった。まだね。音楽データのダウンロードなんて、未来のそのまた未来の先にあるできごとだった。音楽アプリなんて信じられないよ。僕は新宿にあるレコード屋に通って好きな音楽を捜し、LPを買いあさった。おこずかいを全部つぎ込む勢いで。映画も観た。一人で「ぴあ」を見て、映画館にいったんだ。情報誌の「ぴあ」は知っているだろう? 美術館にもいった。ヨーロッパの名画がきた、大展覧会もいいけれど、通常展示の客のいない美術館もいいものだよ。上野にはよくいった。雨の日の平日の美術館で、いつもかかっている絵を観てから、客がまばらの美術館のカフェで雨に濡れた庭のレプリカの銅像をぼんやりと眺めていた。時間を忘れた。ひょっとしたら、僕は時間を忘れるために非リアルを充実させているのかもしれないな、と思った。
 いつの日か、お迎えがくるだろう。あの世から。それは誰にでも起ることだ。僕にとって、人生は、長くて短い、短そうで長い、ひまつぶしなんだ。生きるってことは。
 大学を卒業して、社会人になったけれど、非リア・充は変わらなかった。素敵な女の子も、素敵じゃない女の子とも出会わなかった。正直にいえば、素敵だったり、素敵じゃなかったりした女の子は、会社にはいたんだけれど、そして仕事柄、話をすることはあったのだけれど、まったく相手にされなかった。女の子をデートに誘ったことはあったのだけれど、オーケィーといってくれなかった。「その日は用事が」とか、いう。ので、別に日に誘おうとデスクにいくと、僕の顔を見て逃げていくのだ。僕の非リア・充の空気感がバリアのようにきりっと張っていて、女の子に恐怖感を感じさせているのだろうか。僕は疑う。自分ではよくわからないけれど。やがてデートに誘うのをやめた。諦めたんだ。僕は本当に好きになった女の子しか誘わない。ノリで誘ったりはしない。いつも真剣で、真摯だった。それなのに、断られる。だからこそ、深く傷つく。満身創痍とはこのことさ。そうなるだけだって、わかった。
 僕はきちんと働き、業績をあげ、昇進の階段も順調にあがっていった。そういうところは、ちゃんとしているんだ。でも、僕にとっては、会社は二の次だった。僕にとってのいちばんは、読書、音楽、映画、美術鑑賞だった。もし僕に才能があったのなら、クリエーターになっていただろう。少なくとも、その方面への活動を自発的に始めていただろう。だが、僕にはなかった。とことんなかった。それは知っていた。
 僕は永遠に受け入れるサイドの人間、鑑賞者なのだ。
 三十代も後半に入った。僕のいうリアル、世間でいう非リアルは、相変わらず充実していたけれど、このままずっと一人で生きていくのかな、と思うようになった。僕は童貞だった。ネットに流布する都市伝説が本当なら、僕は妖精になっていてもおかしくないだろう。傷ひとつない、まっさらの妖精に。そんな折、一つの転機が訪れた。彼女に出会ったのだ。彼女は僕と精神的に同じポジションの人間で、年上で、瘦せていて、見た目は美しくなかった。僕は彼女の非リアル充実度に目を見張った。読書量、所持しているレコードアルバム、CDの枚数、映画や美術の知識、造詣の深さ。信じられなかった。驚異的だった。
 二子玉川の大型書店で本を物色したあとで、その書店近くのカフェでコーヒーを飲んでいるときだった。昔ながらの喫茶店の雰囲気で、コーヒーは美味しい。パフェも美味しい。流れる音楽は五十年代のビックバンドジャズだった。買ってきたばかりの本のページをめくって、中身をたしかめているとき、声をかけられたのだ。彼女は僕の席の前に静かに座り、微笑んだ。容姿は先ほど話したとおりだ。美しくはない。しかも僕より年齢は上。彼女のロシアンティーが運ばれてきた。僕が手にしていた本は、ザ・ニューヨーカー選『ベスト・ストーリーズ』の第一巻だった。ザ・ニューヨーカーに載った小説の新しいアンソロジーだ。何を話したのか、いまではよく覚えていない。とにかく身を乗り出すようにして、僕はたくさんしゃべった。僕にしては珍しいことだった。なぜって、コアで、マニアな僕の話に興味を持ってくれるような他人は、いままでいなかったのだから。ミニオンの話ならみんなよろこんで聞いてくれるだろう。だが、ミニシアターでかかっているような映画の話をしても、誰も聞いてくれない。「知らないな」といわれるだけだ。曖昧に微笑されて、左右に首を振られるだけだ。それが僕のいままでの人生だった。
 LINEを交換した。彼女からすぐにメッセージがきた。僕は返した。既読になった。彼女は、仕事を持っていた。小さな編集プロダクションの仕事をしているとのことだった。無記名のネットの記事を書いているらしかった。めちゃくちゃ忙しいといっていた。LINE経由で、電話がきた。たいてい夜中だった。その時間にしか帰れないからだ。僕は夢中になって話した。彼女の声を、彼女の心の声を、真意を聞こうとした。一週間が経過した。やがて僕は気がついた。これは恋なのだ、と。僕はずっと素敵な女の子がいいと思ってきた。素敵な女の子と恋に落ちると思いつづけてきた。ポップソングの悪しき影響である。ポップソングのGirlという言葉の響きにいつまでもずっと拘束されてきたのだ。でも、じつは関係がなかった、ということを思い知ったのだ。容姿は関係ない。僕は目で恋をしない。サブカルを含めた、文化全般に興味があった僕に、アイドル文化にだけは興味が持てなかった理由が理解できたような気がした。不思議なことだが、そこだけは僕は、アイドル、つまり虚像、妄想ではなく、リアル重視だったのだ。
 彼女に出会ってから、僕は変わった。内的に、それは、ごく自然に静かに移行していった。カメラのピントが絞られるように、リアルの世界が鮮やかに僕の目に映るようになっていった。世界の感触、肌触りを実感として、感情として感じられるようになった。世界がいきいきと躍動して見えた。僕の目に映る景色が美しく、きらきらと輝いているようにさえ見えた。世界のどこかでは、常にテロや内乱、戦争が起こっているのにもかかわらず、それでも。本当だ。僕は幸せだったのだ。自分でも信じられないくらいなのだけれど、恋にはそのくらいのパワーがあるのだった。
 彼女とLINEのやりとりは、ずいぶんした。吹き出しに入っているので、件数はかぞえられる。一日に最低十回、多いときは、三十件以上していた。彼女は二子玉川に住んでいて、僕は埼玉の志木市だったので、絶対的に遠いとはいえないまでも、気楽に会いにいける距離ではなかった。平日、僕の仕事が終わってから会いにいこうとLINEを送っても、彼女から仕事が終わらない、と返事がきた。彼女と会うのは、仕事がない、土日に限られていた。
 彼女と知り合って、三か月がたった。男女のあいだに起こる、当然のことが起こるだろう。僕はセックスのことを考え始めていた。彼女は、経験が豊富だろうか? 年齢的に考えて、当然そうなるだろう。いや待てよ。その考え方の流れでいけば、僕はどうなるのだろう? 経験が豊富ということになるではないか。でも事実は、その逆だ。童貞だった。彼女が処女だという可能性だってあるのではないか。
 見た目は重要だろうか? 僕は、重要だと思う。容姿が下の下だからである。鏡を見て、冷静に判断した結果だ。そして、性格の問題もある。非リア・充男なのだ。サブカルを含めた、文化全般、いやそんな気取ったいいかたではなく、端的に妄想、想像こそが僕にとってリアルであり、すべてなのだ。リア充のリアルなど、僕にとってリアルではない。童貞をこじらせている、と呼びたいのなら呼べばいい。そういわれてもしかたがない状況にあるという自覚はある。それで、彼女はどうなのか? 見た目は、さっきいったとおりだ。だが、だからといって、もてないとは結論づけられない。大学時代、ヤリマンのブスを僕は数人知っている。サークル・クラッシャーと呼ばれた女の子も、やはり数人知っているが、どの女の子もはっきりいって、きれいではなかった。太っていたり、痩せぎすだったり、独りよがりで座の中心に自分がいなければ気がすまない。性格に難があった。そんな女の子だからこそ、サークルが紛糾し、粉砕されるのだ。どうしてそんな女の子に、男どもが目の色を変えて迫るのか、理解ができなかった。その磁場にはまったものにしかわからない、濁った空気感というものがあるのだろう。そうとしか考えられなかった。女の子はわからない。そしてこわい。その恐怖感が僕を女の子から遠ざけた遠因になっているような気もする。
で、彼女はどうなんだ? 処女なのか。非処女なのか。

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