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テイラー・スウィフトはいなかった

 Facebookのおかげで、高校時代の友人、知り合いと交流ができる。
 1月のある日、Facebookに、私の「君に届かない」の記事が載った。高校時代のクラスメイトだった。
 彼は、高校の裏門の前で、仲間と赤いヘルメットをかぶり、マスクをして、ビラを配っていた。狭山裁判や三里塚闘争のビラだ。ということを書くと、時代がわかるというものだ。そういう時代だった。
 彼とは、ほとんど話した記憶はない。ないような気がする。
 私は、クラスの片隅で、小説や詩を読んでいるような地味な人間で、彼のようなアクティブな行動をする仲間たちとはまったくの無縁だった。
 彼がその記事にも書いているように、今年の初めに同窓会があり、私は出席した。彼と話をしているうちに、少なくとも一回は、話をしたことがあったことが、第三者の証言でわかった。
 トイレで、私が彼に話しかけてきた、ということを、彼がその第三者に話したというのである。

 彼と同窓会で、話をしたことがきっかけになって、私は、「テイラー・スウィフトはいなかった」という小説を書くことになるのだが、それはまた別の話である。
 以下、彼の許可を得て、その記事を転載する

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 去年の最後の一冊は緒真坂(いとぐち・まさか)著『君に届かない』。
 緒ワールドは展開の意外さと人物描写が面白く、文章も読み易く引きこまれる。ハッピーエンドにはならなくとも、何故か優しい気持ちにさせられる短編集だ。

 読書と言えば、ここ十年近くは実用書・啓発本の類いには一切手を出さず、ほぼ英語か韓国語の原書で小説ばかり読んできた。外国語習得と一石二鳥ということに加え、文学小説の場合は、ストーリーだけでなく表現自体が作品であるから、わからぬなりにも作家自身の言葉に触れたいと思うし、また外国語は意味が容易に理解出来ない分じっくり想像力を働かせることになり、映像がより豊かに浮かぶ。
 で、海外の原書がメインなのだが、この人の短編集だけは例外的に、新しい作品が出るたびに読む。

 きっかけは、作者の緒真坂が、じつは6年前の高校同窓会で再会した私の高校時代の友人だったからだ。「高校時代の友人」と言っても、ほとんど言葉を交わした記憶がない。私の当時の仲間と言えば、左は過激派から右は応援団(崩れ)の不良、暴走族と美術部員くらいであり、左右両極端に偏りまくっていて、彼のように普通の長さの学ランを端正に着込んだタイプの友は皆無に等しかったからだ。

 その彼が、何十年もずっとコツコツ小説を書き続けてきたことを同窓会とFBを通じて知り、付きあいから上梓したての中・短編集『スズキ』(変わった題だなあ)を読んでみたらこれが面白く、息子とも回し読みした。軽いのか重いのかわからない独特の作風と味わいがあり、2冊目以降は付きあいではなくAmazonで購入して全作読んでいる。

 彼にとり当時おそらく私は理解不能な人間だったのではと思うが、私も彼のことをいまだによく知っているわけではない。当時は黒い制服に70年代的長髪、黒縁の眼鏡をかけて本ばかり読んでいる静かな若者だった記憶があるが、今は、少女漫画から抜け出で来られたような、黒い大きな瞳の素敵な奥様と二人三脚で、依然本に埋もれて暮らしているようだ。私にはわからぬ内面世界を持っているが、文章を読むとユーモアもたっぷりある。

 今月、同窓会で会うことになっているので、もう少しいろいろ話をしてみよう。


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