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はじめての老い -老化が開く知覚の扉-

「老い」について、できるだけ掘り下げないようにしている。調べたり、読み漁ったりしないように心がけております。
だってそれはじめると「チャントシナキャー」というお仕事モードに入ってしまい、ただでさえ遅筆と言われているのになんにも書けなくなっちゃうよーということで、あくまで自分の実感を素人スタンスで「間違ってても書く」というアレでやらせてもらっております恐縮です。

とはいえ。
こうした原稿を書いていると、知人友人家族から「老い記事」のリンクがバンバン送られてくる。バンバン! ババンバン! バーン! BURRN! と送られてくるのです。
そしてそれがまたどれもこれも面白い。詳しくなりなくないんだけどなあ、とは思いながら、じわじわと詳しくなってしまうことに抗い過ぎるのもナンカナーと思うので、抗わない。ノーガード戦法である。しかも年々あらゆることに対してガードする気力が希薄になってる。サイバー・ノーガード戦法ならぬ老年性ノーガード戦法である。そんな言葉はない。勢い、おすすめされた書籍もだらしなくポチリポチリとプライムお急ぎ便で購入してしまうのであります。まったく急いでいないのに。そしてクロネコヤマト風の服を来た男がピンポーンとお届けにやってくる。頼んだ覚えもない本たちを。いやさすがに覚えてはいますけども。

んなこって、今後ちょいちょいこの「はじ老い」シリーズでは、読んだもの聞いたものに言及していくかもしれないがご容赦されたい。体系だてて読む気はしない。あくまで散歩のようなつまみ読みである。なんせ気力がないのですから。

そんな散歩をしていると、おや、紐が落ちてるな、と思って近づくとヘビだった時のように飛び退いて驚く文章に出会うことがあります。特に印象深かったひとつがこれです。

1つの事象が発達であると同時に老い(エイジング)でもあるととらえられる。例えば味覚の発達などがそうである。われわれはサンマや鮎の腸(はらわた)が(大人の味として)美味だと言うことがあるが、それは医学的には味蕾の老化から生じる現象だとされている。つまり老化することが味覚の発達だととらえられているのである。

教育老年学 (放送大学大学院教材)堀 薫夫

この本はタイトルの通り、老年期の教育や学習についてまとめられている本でとてもとてもとてもおもしろいです。上記の文章は「生涯発達とエイジング」という章にある文章なのですが、ここでは「老いること」や「坂を下ること」を「発達」に含めて語られているのです。「発達」だったのか! これまでわたしが書いてきた自分のポンコツ化が「発達」だったらしい。なんだか、しみじみ嬉しくなって好好爺の笑顔で小さく踊っています。

上記の文章で特に感激してしまうのは「大人の味」としてわたしの中に新しく開かれた世界が、ニャンと老化によるものだった!! ということですね。これはすごいことですね。開くんだ〜新しい知覚の扉が〜。俺の舌がヨレヨレになることで新しい扉が! 開く!! 画期的!!

年を取ると味蕾が減るって話は耳にしていました。20代に比べると高齢者のそれは三分の一くらいに減るとかなんとか。これはこれで恐ろしい話ですけどね。でもおもしろいよね。老人になると薄味を好むみたいなことは嘘で、味蕾がカッスカスになって強い味を求めたりするらしい。逆に子供たちに好き嫌いが多いことは味に関して未発達だからと思われがちだが、実はアレは「敏感すぎるゆえ?」という疑念ももくもく湧いてくる。妄想がとまらなくなります。

これまでわたしはなんやかんやで感覚器官は、鋭いほうがよかろうよ、大は小を兼ねるじゃないけれど、センサーが受け取ることができる情報は多ければ多いほどよいに決まっているじゃないのと思っていましたね。
にも、にも、かかわらず
ここに書かれているのは、センサーの感度がにぶくなることによって初めて感じられる世界があるとゆーてるわけです。熱い。これは熱い。

これはどういうことなのでしょうか。
カメラで言えば、ソニーα1のセンサーより約5010万画素には出せない、カシオQV10の25万画素の「味わい」みたいな世界なんだろうか。全然ちがう?  ちがうような気が強くする。まだよく理解できていない。理解できていないのだけど、わたしの頭上70cmくらいに浮かぶのは「希望」と書かれたバルーンであります。鈍麻することで、ワカモノラには感知できない「ある感覚」が存在するとしたら? それは老年世代にとっては希望に違いないじゃろう。ゲホゲホ。長生きすることでしか味わえない何かがあるとしたらそれは希望なんじゃゲホゲホゲホ。

ところで、私は「苦いもの」が好きです。
秋刀魚のはらわたは、「死霊のはらわた」と同じくらい好き好き大好き愛してる。ですし。京都に移住して夏は「万願寺とうがらし」の苦みを毎日感じられることに喜びを感じておりますし、プリンのカラメルの苦みももう黄色いところいらないくらいだし、ロイホに行けば150gアンガスサーロインステーキサラダ一択なんです。ケールサラダの苦みを求めて止まないんです。
好きな料理を問われれば、大根の葉っぱをごま油で炒めたやつと答えてきた。あれもニガうまい。
苦みサイコー。

しかし思い起こしてみると、わたしは、だいぶ若い時から、苦いもの好きだったんですよね….それってどういうことなんでしょう? 若い時から舌が絶望的に老いていた? ってことですか??  わはははは。

とにかくだ。わたしはこれまで、自分の筋力がブランブランになってきたりするたびに、これ知らなかった感覚だな、面白いな、とは思っていたものの「開いた」とまでは感じていなかったんですね。その意味において「秋刀魚のはらわた問題」はインパクトが大きい。これからは、眉毛の長さが新記録更新するたびに、屁の臭さがネクストレベルに達するたびに、「開いた!」と位置づけることにしようかな。
老いを感じるごとに「開きました!(立ち上がってパチパチパチパチ…..)というスタイルで。


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