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はじめての老い -「返納」ついて考える-

10年落ちのクルマに乗っています。ランボルギーニ・フィットです。あれ?ホンダだったかも? そうだったホンダ・フィットだ。いかんいかん年とると、ちょっといろいろわかんなくなっちゃって間違えてごめんなさい。マツダ・フィットです。

4年ほど前に東京から京都に移住したんですね。東京では15年くらい前に「もうクルマには乗らんぞ!」と思って手放したんです。しかし、京都に越してきて、通勤経路が公共交通機関だと異様に遠回りということもあり、クルマを再び入手しました。
めちゃくちゃ便利。さいこう。
わたしにとってのクルマは、MSつまりモビルスーツですね。人型じゃないタイプの。車輪で移動するタイプの。そのモビルスーツのコックピットに入ってですね、妻子を乗せて時速80キロで高速移動するわけです。めちゃくちゃかっこいい。クルマに乗っている時、これはモビルスーツなんだこれはモビルスーツなんだと夢想すると、移動してる時気分がよくなるのでおすすめです。最近のモビルスーツ、戦いのために高速移動してんのに「ETCカードが入っていません」とか言うのでちょっと意気が下がりますけども。。

まあ、とにかく、古都といえど地方都市。地方にクルマは欠かせない。
これなくなると困るニャ〜と切に思う。

なのだけれど、ネットなどを見ますと、高齢者に向かって「返納しろや」の大合唱じゃないですか。ねえ。返納ねえ。まだ前期高齢者にもなっていないのですが、だんだんと「返納をキメるタイミングは、いつにするかねえ?」が気になるお年頃ですわ。ニキビが気になってる頃が懐かしい。「返納」が気になるお年頃ってなあ。
まあ、しかし、こうして地方のクルマユーザーになってみると、「返納」は、なかなかに難しい問題であるなと思いました。

あるときMCI=軽度認知障害の人と話した時に、「クルマに乗れなくなると生活ができなくなってしまうので、検査を避けてきた」という話を聞きまして、ああ….と思いました。事故を起こしたくないけれど、生活が立ち行かなくなるのも困りますよね。運転もまた運動であることを考えると、それも手放すという選択であるわけですしね。

私の場合は、まだ、そこまで切実な話題でもない。前期高齢者にさえなっていない老人会の入門以前のものとしては、うっすら「返納」が見えてきたなあ、くらいのタイミングです。しかし、気になるっちゃ気になる。ワレワレハイツドノヨウニ返納をケツダンスルノデアロウカ?

同年代の友達に聞いてみるわけです。返納のことどう考えます?と。
「イーロン待ちかなあ?」
「ですよね〜」
と、まあ、つまり、自動操縦待ちというモラトリアム状態ですわ。
自らの衰えによる返納待ったなしタイミングと、自動操縦技術の向上+法整備とのデッドヒート! このスリルを楽しめるのは自分の世代の独自のものですいません。
自動運転に免許がいるのかどうかわからないが、わたしが「返納」するまえに運転のロボ化が進むならば、それは嬉しイーロンです。

20年後とか考えると、自動操縦当たり前になっているでしょう。その頃は逆に、むかしはのう、人間がクルマを操縦しておったんじゃ。えー、なにそれ怖い! くらいになっている可能性もなくはない。

いまでも、高速道路を走っているとよく思うんですよ。なぜ俺はこのまわりのドライバーたちが唐突に狂った行動をしないと考え信じて、こんな速度で走っているのだろうか?と。
電車に乗った時にはさあ、あるいは職場でも? 「こいつ、マジで考えらんない行動に出るな!」という場面に遭遇するじゃないですか。なのに〜、な〜ぜ〜。この走る凶器ことクルマだらけの高速で、他のドライバーこと人間を信用し、走っていられるんだろー。てね。思いますよね。思いませんか。
だが、そこがいい!!!!
運転って、そこがいいんだ。私はそこに感動してしまう。
ポンコツ人間はたくさんいるけれど、俺はいまお前たちを信頼しているぞー! っていうね。高速道路は、そういう場所だよね。違うかも? でも、この「みんなー! 信頼してるよー!」と無根拠に思って運転してるこの時間。これ自動操縦になったら、早晩忘れられちゃうものだと思いますよ。俺は今おまえたちを信頼している。それを無闇に覚えておきたい。ちょっと何言ってるかわからないと思いますが。

「返納」ってそんなに使わへん言葉やと思いますが、老いると気になる言葉ですね。これまで持っていた権利を自ら手放すというタイミングが近づいてくる。たくさんあるよね。たくさんたくさんあるんだ返納したいこと。そして返納することは、ある種の気持ちよさがあるのではないかと思う。断捨離にも似た「脱いでいく」ことの気持ちよさよ。
『青い山脈』における「古い上衣よ さようなら」はもっとも好きな歌詞のひとつで、古い体制との決別を清々しく歌っているかと思うのだけれど、古い体制って外部にだけあるわけではなくて、「自分のこれまで」という「上衣」をぬでいくようにも感じられる今日このごろです。

ちなみに『青い山脈」はさすがにリアルタイムではなく、初めて聴いたのは矢野顕子さんのカバーのこれです。いま聴いてもフレッシュ。

余談だけど、歌詞は西條エイティこと西條八十ですが『東京音頭』から『蘇州夜曲』まで、幅広い。まとめて聴くと、エイティやばすぎ!となりますね。素人意見ですいません。

「返納」について、まだうまいこと言えるほどまとまった考えはないのですが、失うことを恐れて意気消沈していくよりも、自ら返納していくというのはメンタルによさそう。おじさんたちは、男の威厳みたいなありもしないUMA的なものが目減りすることを恐れおののく前に。それを「返納」するほうが気持ちよいのではないかな。

男らしさの返納、仕事の返納、筋力の返納、記憶力の返納、尿意の我慢の返納、性欲の返納。

で〜も〜ね〜。
こういうものたちに、すがりつきたい気持ちも、また愛おしいと思ってしまう自分もいる。そんなにきれいに返納しなくていいし、できないし。

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