短編小説「路上ライブ」 1/2

 少し遠くから怒鳴り声が聞こえる。
 顔を上げてみると、駅前で若い男女二人とだらしない格好の男が言い争いをしているのが見えた。
 だらしない格好をした男は、丁度今いる場所で路上ライブをしている姿を何度か見たことがある。特別歌が上手いわけでもなく、足を止める通行人もほとんどいなかった。私もしっかりと聴いたことはない。
 対して、若い男女に見覚えはなかった。一見してガラが悪く、男の怒鳴り声にもへらへらと振舞っていた。関わり合いを持つべきではない相手であると感じた。
「話が違うじゃないか!マスタリングにデザインにプレスまでやってくれるというから20万も払ったんだ!」
 男が若者の胸ぐらを掴む。彼の足元にはアコースティックギターにケース、投げ銭用の容器と大量のCDケースらしきものが入ったダンボールなどが置かれている。
「ちゃんと仕事したっつってんだろ」
「これのどこが仕事だ!」
 CDを若者の顔に押し付け怒鳴るも、彼らに悪びれる様子はない。そのCDにアートワークなど無く、家庭用の市販品に見えた。
「さすがにうぜぇ」
 若者は勢いよく男を引き剥がし、突き飛ばされた男はよたよたと後ろに下がった。若者が一歩踏み出すのを見て、私は嫌な予感がした。あの若者を制止した方が良い、そう思ったが体は動かなかった。
 面を上げた男の左頬に拳が入った。鈍い音と共に男の顔がおよそ90度を向く。彼は突然の反撃に一瞬怯んだようだったが、慌てて殴り返そうと前のめりに振りかぶった。
 勢いよく出た男の顔面、口元に若者の左肘が入った。
 メキッという音が聞こえた。
 男はうめき声をあげ仰け反り、口から何やら白いものが飛び出した。
 若い男は肘をさすり、若い女は歓声をあげケタケタと笑う。
 口元を押さえその場に倒れこんだ男の背中を若者二人が幾度となく蹴りつけた。彼らは周りを見回し、訳の分からない罵声を吐いてそこから立ち去った。
 気がつくと、いつのまにか多くの野次馬が集まっていた。
 呻く男の元に駆け寄る者は誰もいなかった。ただただ傍観するのみだった。
 男の呻き声はだんだんと嗚咽に変わり、やがて静かになった。
 ゆっくりと立ち上がり、すすり泣くような音を立てながらギターの置かれた場所まで戻る。
 途中、先ほど口から飛び出した白い何かを拾った。男はそれをしばらく凝視し、また嗚咽をあげた。
 男はギターを手に取り地面に座ると、演奏を始めた。よく見ると手が震えていた。音は弱々しく、はっきりと聞こえない。顔が青白い。口を開き何かを途切れ途切れに発してはいるが、歌詞は聞き取れず何を歌っているのかも分からない。
 なおも男は歌おうとするが、唾液と血の混じったものが口から垂れている。それが彼の手元を汚している。
 もともと歯があったであろう場所から血が出ている。口周りはだんだんと赤くなり、ニチャニチャと口元から汚い音が出る。
 誰も彼の歌を聴いている者はいなかった。その悲惨な様子を見ているだけだった。

→投げ銭をする (路上ライブ 1.5/2)
→投げ銭をしない (路上ライブ 2/2)

元気になります。 ケーキを食べたりします。