春を踏み外して

 大半の大学生が卒業すると社会に出るが、私は就活という行事に失敗し、そして飽き、大人になる機会を自ら逃した。それにもかかわらず透明と水色の中間みたいな空を見上げて、呑気に洗濯物を干している。焦燥感を抱けずに焦る、という矛盾に悩まされて、心が春にたどり着く前に空中分解しそうだ。卒業式を終えた今、自分にとって何の意味もない春がやってくる。
 呪われているんじゃないか、と思うほどの悪天候の日に卒業式は行われた。三月末のくせに雪が降って、袴の女の子たちが寒そうに身を寄せ合っている。たくさんある鮮やかなグループは、なんだか所々に花束が落ちているみたいだった。
 コピーアンドペーストされた答辞を三回も聞かされて式典は終わった。あまりにも退屈すぎて寝ていた。所々で目を覚ますと、答辞の内容が似過ぎていてタイムリープしているのかと思った。いい歳してそんなことしか言えないのかよ、自分の言葉で話せよ、とか思ってしまう自分の方がやはり子供なのだろう。
 会場を出たところで、四年間、苦楽を共にした人達に別れを告げた。近所にいるやつ、遠くに行くやつ、その場にいる全員が現実感の伴わない激励を口にし、まるでおままごとみたいなお別れだった。別れの内訳は、悲しみよりも虚しさの方が大半を占めている気がする。また会おうと言って、また会うことのない人たちを見送るからだろうか。
 

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