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愛車たちとの思い出

私が車の免許を取ったのは18の頃だ。

不器用だという理由でみんなが当たり前にミッション車の免許を取っていく中でAT限定で免許を取った。
そう、もともと車にはあまり興味がないのだがそういう免許に対しても乗れればいいというやる気のなさが表れている。

就職して初めて買った車が中古のスバルフォレスターだ。
当時スノーボードにハマっていたので4WDがいいだろうということと見た目のカクカクしたカッコいい顔に一目惚れしたからだ。

車には興味なかったのだが他の人に言わせればスバル車はなかなか通の乗る車だそうだった。確かにボクサーエンジンという独特の振動と音が特徴の車だった。
そしてターボが付いていて高速道路での加速はちょっと怖いくらいに伸びるのだった。ただハイオク車だったので圧倒的に燃費が悪かった。

妻とも独身の頃はこの車であちこちへと出かけた。
特に冬場となると二人で新潟、長野へとほとんどのスキー場を制するくらいにこの車で旅に出た。
そんな思い出いっぱいの車は約10年20万キロ若かりし頃の私を乗せて走ってくれた。最後は流石に満身創痍となったがとてもいい車に出会ったと思う。


子供ができたこともあり次の車はファミリーカーと決めていた。ミニバンを視野に選択していたのだが、もう一つの絶対外せない選択基準があった。
フォレスターの時は趣味のサーフィンに使うロングボードをルーフキャリアに積んでいたのだが次の車では室内に置きたいという超個人的な理由だった。

そこで選ばれたのが7人乗りのエスティマだ。
これならセンターが3列ともウォークインできるので真ん中に長いボードを置いても余裕で積めるのだ。この仕様がめんどくさがりの私にはぴったりだった。

もちろん子供が小さい頃はチャイルドシートを装着し子供の送迎などファミリーカーとして大活躍した。しかし子供が大きくなるに従いこの車は完全に私の趣味の車と化し完全なる海仕様となった。

東は千葉から北は新潟、西は島根、南は高知と私のサーフィンひとり旅のお供として大活躍してくれた。そして14年になろうとしている。
走行距離にするとおよそ30万キロだ。
先日おかまを掘られて修理を一度しているが、今なおほとんど表面的に見られる大きな傷もなく割と綺麗に乗っている。

そうだ。私は物持ちが良いのだ。

そんな私の愛するエスティマもいつも車検に出している仲のいい車屋さんによれば、車の底面がかなり錆びてきていてシャフトとタイヤをつなぐナットが緩みやすくなっているのだそうだ。
それはそうだろう。
これだけ毎週のように海風が吹くところで晒されて、時にはスタックしそうな砂浜を走り、冬は除雪剤が巻かれた路面を走る。

そうした私のライフスタイルに付き合ったために見た目は美しくても内面はボロボロに傷ついているのだろう。でも本当によく耐えてくれた。


そんなこんなで私のエスティマもそろそろお役御免にしてやろうと思う。

新婚時代はデートであちこち飛び回り、子供が生まれてからは家族との時間を包んでくれた。
そして私のサーフィンに付き合いたくさんの場所をともに旅してきた。
だからとても別れるのが辛いよ。


今まで本当にありがとう。

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