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家の中ちょー楽しい、家の中が一番好き、でもみんなで桜見たかったよ

 老人ではないんだ。ただ、24歳を少し越してしまっただけであって。けどやっぱり老人だったと思う。新型コロナウイルスが猛威をふるっているけれど、しかし、世界の終わりを夢想するほど子どもでもなく、かといって政治を語るほど大人でもない僕は、相変わらずの宙ぶらりんな感じを抱えたまま、ただぼんやりとしていた。普通の人の一日が、僕にとっての一年だった。ついに1冊も本を出すことはなかったけど、1000にとどく数のブログ記事を書いた。しかし、そのどれもが僕の本気の仕業ではなかった。たんなる自己満足に過ぎなかった。まったく誰にも読まれることはなかった。誠実さが足りず、切実な感じが伝わってこなかった。いまだに僕をどきどきさせるのは、イケてる服をインターネットで買うことと、アニメの女の子が唇を固くむすび頬をあかく染める姿を眺めることと、二つだった。いや、その二つの思い出だけだった。ぼろぼろの肌、縮んだ脳みそ、それは嘘じゃない、と思う。僕は今日、この日に死ぬのだ。僕の短い生涯において、嘘じゃなかったのは、毎週何かしら届く服と、後藤ひとりさんと、今朝見た『エロマンガ先生』というアニメに出てくる紗霧ちゃんの二つだけだった。生まれたことや死んだことすら、僕は何度も嘘にしてきた。
 僕は今、ベッドに伏せている。連日のハードワークによって頭の血管がちぎれてしまった結果だった。僕には暮らしに困らないほどの月給があったが、しかし、それだけのお金をもらう自分の生活に満足したことなど一度もなかった。僕は僕が不幸だ、と思っていた。お金がたくさんあるか、まったくないか、そのどちらかがよかった。ほのぼのとした暮らしは僕には理解できなかった。
 普通の人間は死ぬ間際、じっと天井を見たり、今までありがとうございました。そして、さようなら、とインターネットにつぶやいたりするが、僕はただ目をつむっていた。なんだか疲れちゃったな、と思っていた。何かを眺めていることすら、今の僕には重労働だった。視力をすり減らし、死力を使い果たしてしまった。なんか、なんだろ、目をつむればまぶたの裏に蝶々とか見えないかな、と思っていたけど全然そんなことはなかった。かわりに、最近好んでいた音楽が、その断片が、どこからともなく聴こえてきていた。最近は休みの日はずっと家にいたので、gokou kuytか、Clearr Noteか、gummyboyを聴いていた。それ以外のときはYDIZZYを聴いていた。みんなたちが、僕の耳元で騒がしく歌っていた。これはライブでもしてんじゃねぇかな、と思った。みんなたちのツバが、タバコの灰が、汗が、降るように落ちた。
 どこか行きたいところはありますか、と訊かれて、東京、と答えた。僕が十七歳で初めて書いた小説は、主人公が東京を目指し、でも結局失敗する物語だった。
 それから、東京へはやって来れた。それはお粥にゆで小豆をちらして味の素で風味をつけたようなものだった。僕は夢の一部を叶えたはずだった。目をつむって仰向けのまま、ここが東京ですよ、と云われ、もういい、大阪に帰りたい、とつぶやいた。他にやりたいことは、と問われ、僕は考えて、仕事に行かなきゃ……引き継ぎだけでもしておかないと他の人に迷惑が……と答えた。顔がよく博学で利口な頭脳を活かし、美少年名探偵として活躍する後輩いちごちゃんは、たった二人きりの部屋のなか、同情ではなく唇を歪ませ、それから何を隠すこともなく大きく嘲笑ったという。

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