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へやキャン△がおわっちゃったよ……

 大学に入学して、アイコンが必要になって、とりあえず近くにあったパンダの被り物をかぶっていらい、パンダは僕のアイデンティティのいちぶになった。
 パンダ≒僕≒いとうくん。
 とおからず、しかし、近すぎない関係に僕たちはある。
 パンダはかわいいものの代表としてよく駅やショッピングモールにアイコンとして消費されているが、そのじつ、うんこのあとはケツを拭かないし、笹よりも昆虫や爬虫類を好んで食す傾向にある。自分勝手で群をつくることができず、警戒心がつよいので人間が近づいてきたら平気で爪でおそいかかってくる。
 というのは、いま僕が適当に考えたうそのパンダの生態で、僕はそれほどパンダに興味があるわけでもないのでそういうことをきちんと調べてみたことはない。ただ、そうであってほしいな、とは思う。人々からまゆをひそめられるような生物であってほしい。だって、そうじゃないと、なんだか不公平だ、と思う。
 僕の部屋にはそこそこ広いロフトがあって、安いプロジェクターを買ったので最近はそこでよく映画を観る。この前、『メメント』という映画を観た。『ダークナイト』で、ジョーカーというキャラクターを使って、それまでの悪役像を完全に完璧に更新してしまった偉人、クリストファーノーランが撮った映画だ。観た。僕は物語が一点に収束していき最後に「なるほど!」となるタイプの物語にはまったくなんの感動ももてないこころを持っているので、おもしろいけど、、、というのがしょうじきな所だった。ぜんぶ過去のトラウマのせいだ。だけど、それからお風呂につかっているときに、『ダークナイトライジング』で、アップデートされていないオールドタイプの悪役を用意することでしか、自分がヒーローとして存在していられる閉じた世界を再構築することでしか、バットマンとして復活できなかったバッドマンと、『メメント』の主人公は似ているんだな、と気づいた。ヒーロー/名探偵として存在するためには世界を密室にする必要があって、そういうところは一貫している。クリストファー・ノーランがサンマルクカフェで雑誌メフィストを読んでいた、という目撃情報もある。
 パンダはヒーローでも名探偵でも魔法少女でもないけど、でもパンダなので、やっぱり閉じた世界のなかでしかアイデンティティを保つことができない。パンダの世界はロフトのうえにあって、パンダはそこで一日じゅう漫画や小説を読み、映画を観ている。いい気なもんだ、と思う。思う僕がいることをパンダは知っていて、あえてそうする。僕が会社で脳みそをぐわんぐわんさせなきながら仕事をしているあいだ、パンダはひたすら惰眠を貪っている。うんこしたあともケツは拭かない。笹ではなく、春菊やオクラを好んで食べている。暴力は好まないが、どうしてもいらいらしてしまうときは近所のスーパーやコンビニにくじょうのメールを出す。僕が、お客様は神様じゃないんだしやめなよ、と云うと、神様じゃなかったら怒っちゃダメなの?と返されて、それに対して僕はなにも云えなかった。たしかにそのとおりかもしれない、と少しだけ思った。怒ること自体をとめることはできない。だけど、実際パンダがやっているのは本当にめいわくな行為だし、店にも顔を出しづらくなるからやめてくれ、と思ってもいて、この前おもいきってそう云ってみた。するとパンダはわかった、と案外あっさり引き下がってくれた。
 パンダにだって感情はあるし、考える脳みそも人並みの想像力もあって、自分が間違っていると思ったらそれを改善していこうとする気持ちだってあるのだ、と、その時僕ははじめて発見した。少しでもなにかをよくしたいと考えているのだ、パンダも。だからパンダは近頃はインターネットで政治の悪口や炎上したユーチューバーを叩くことに夢中になっている。少しでもこの世界がよくなればいい、という純粋な使命感によって。成す。成そうとしているあいだは、僕はなにも云わないことにしている。
 寝る。
 起きる。
 繰り返す。
 とおいけど日帰りでかえってこられるような都合のいい場所に小旅行に行きたいけど、時代の要請がそれを阻むので、これまでパンダにまかせっきりにしてきたことを少しだけ引き受けることにした。家で、本を読むようになったし、映画を観るようになった。コーヒーをのんで、眠りたいと思ったときはうとうとするようになった。とおかったパンダと僕との距離を、少しだけ近づけた。
 目をとじて、無数のアイコンと僕との距離をちぢめて、とおざけて、ときには自分から完全に分離させて、それでも世界はまだここにあるし、いつだって発見できるのだと、この前しいたけを食べながらパンダが云っていて、僕はそのとおりだな、と思ったことをまだ覚えていることにする。
 明日からの仕事に備えてもう寝るよ、と云うと、おやすみ、と返ってくるので眠る。

いとうくんのお洋服代になります。