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情報通信白書から宗教×テックを考える

「仮想」から「拡張」へ

 2019年、令和元年となるこの年に総務省が発表した「情報通信白書」の中に、デジタル技術が人間の「できることを」を強化すると謳われている。

(総務省HPより)
 鉄道や自動車は、人々をより遠くへと行くことを可能にしたことで、人間の器官の一つである足を「拡張」したといえる。このように、これまで登場してきた技術は、人間のあらゆる能力を「拡張」させることにより、人々が「できること」を強化していったといえる。
ICTについても、身体・存在・感覚・認知の点で、人間の能力を更に「拡張」することが期待される。

 「拡張」には4つの方向性があるとされ、「身体の拡張」「存在の拡張」「感覚の拡張」「認知の拡張」が説かれている。

 宗教者がデジタルやインターネット技術に向き合うとき、「仮想現実」という言葉が持つ胡散臭さに引っ張られ、その本質を見落としがちになる。いま、デジタル技術がもたらす本質は、「仮想」世界の創出というよりも、現実社会の「拡張」だ。


人間の能力の拡張

 「身体の拡張」とは、たとえば、声帯を失った人に音声を取り戻したり、義足をつくったりするような技術だ。株式会社voicewareは、音声のテック会社。義足の世界では、3Dプリンタや電動義手などの技術が用いられている。

 「存在の拡張」とは、テレビ会議や遠隔医療のような技術で、人間の存在を場所の制約から解き放つ技術のこと。オンライン法要は、この技術の成果のひとつ。ロンドンの遠隔医療ベンチャーが、スマートフォンアプリを使ってルワンダなどで展開しているプロジェクトは、医師の存在を拡張させる取り組みだ。

 「感覚の拡張」。視覚や聴覚などの五感の知覚を補う技術で、比較的早かったのは、目や耳の力を補強する技術だ。これを追いかけるように、AISSY株式会社などが味覚のデータ化、産業科学AIセンターは嗅覚情報のデジタル化を進めている。触覚技術は、すでにスマートフォンや映画館など生活の端々に登場し始めている。

 「認知の拡張」は、人間が何かを理解しようとするプロセスを助ける力と言える。教育×デジタルのエドテックや、自動車に搭載されるアラート機能、検索技術や文字変換なども、人間の思考を補助するテクノロジーだ。


ゼロか100かではなく

 まだまだ技術の精度が低く(いわゆる「解像度が低い」)、実世界を補完する力が不十分な側面はある。また現実世界の完全な置き換えにはなっていない。

 たとえば、デジタル音源は、自然の音をすべて伝えているわけではなく、開発者が選択的に波長の広さを区切って、使い勝手の良いデータの大きさに整えられている。

 そのため、「お経は可聴域以外にも意味があるから、デジタルに介在させず、人間が発した生声でなければ魂が伝わらない」と主張する意見がまったくナンセンスな訳ではない。

 だからこそ、「拡張」と考えれば良いのだ。


これまでの活動ではこぼれていく人がいる

 信仰から人が離れていく。この現状を否定する宗教者は多くないはずだ。
これまでと同じ活動では、信仰からこぼれていく人が多くいる。

 テクノロジーがもたらす拡張機能は、いくらかでも、これを救い上げる可能性を持つはずだ。テックの進歩に情熱を注ぐ人たちに、「この技術が苦しむ人を救う」「この技術で世界は良くなる」と信じる人は少なくない。

 宗教はこうした人々と協業できるはずだ。

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