教職課程には困難がいっぱい!

教職Advent Calendar 2019の1日目の記事です。

突然ですが、この記事を見ている画面の前のあなたに質問です。
あなたは本当の本当に教職がとりたいですか?
「はい」を選んだあなた
本気でそう思ってるなら転学した方がいいよ。この大学で教職を第一義にするメリットはほとんどありません。「茗溪閥」というのもあるにはあるらしいですがもう昔の話です。少なくとも、教職課程を卒業要件にすべて組み込める学芸大やら地元の教育大に行った方が少ない大学生活を有意義に過ごせます。筑波大に限らず教員養成課程のある大学は国立だけでも50以上あるんだから。その方法が親孝行でしょう?(この発言は学生の家庭環境に配慮していない)
「いいえ」を選んだあなた
本気じゃないならやめた方がいいよ。純粋に負担になるだけだし、教職課程の授業は教養にはなるかもしれないけれどそれ以上の昇華は難しい。途中で切って残るものが少ないのも現実。生徒への授業だけを求めているのなら、予備校講師になった方がいいし、そっちの方が学類生のうちの研究との両立もしやすい(実際、予備校講師には大学院くずれも結構多い)。

教職課程は、あなたにとって不幸な学生生活の危険性を高めます。無根拠的な推測によると、教職者は不幸な学生生活を危険性が非教職者に比べて約1.7倍高くなります。

 …という冗談はさておき。
 こんばんは。The Tsukimiです。教職アドベントカレンダー2019、1日目を担当させていただきます。正直カレンダーに名前を入れたときは12月とか遠い先の話だなと思っていたのですが、今日からでしたね。

 皆さんが筑波大で教職課程を取る理由にはいろいろあると思います。先述した「茗溪閥」や、後は人文系ですと就職先確保という側面もあるでしょう。僕の教職を取ってる理由ですか?特にありません。しかしそれで研究に悪影響がおよんでしまっては元も子もないとも思っています。実際に、筑波大学で教職を取るということにはいろいろな困難が付きまといます。(そしてこれを読んでいる皆さんは様々な点でそれを実感されていると思います)。しかし何が大変か、というのは実際あまり明文化、あるいは周知されていないように思われます(でないと、リタイアがこんなに多くはならない気がする)。ですのでここでは、「教職を取るということは、具体的にどんな困難が付きまとうのか」を特に「履修」という観点に注目しながら、極力学類固有の問題点を排除して、自分なりに分析していきたいと思います。ちなみに、申し訳ないのですが、この先を読んでも制度以外の教員養成に対する倫理的・態度的な問題についてはほとんど言及しません。教員は別に「人格が高潔」である必要はないと思っているので。むしろある程度の人格を要請するならそれこそ口で言うだけじゃなく教育しろよって話なんですよね。
どうでもいいですが、国立大学で「宗教」の免許が取れるのは東北大学の文学部だけですので、どうしても取りたい方は転学をお勧めします。

教職を取るということは、具体的にどんな困難が付きまとうのか

① 履修がきつくなる

 まあ諸々の問題は大体これで言い表せます。
 「履修がきつくなる」といっても3通りの解釈があります。教職を履修することにより、相対的な卒業に必要な講義の勉強時間などへの逼迫。もう一つは、受けたい講義とのスケジュール上のバッティング。そしてもう一つは、自分の学類以外の「教科に関する科目」を履修する場合の履修上限との兼ね合いです。

 まず1つ目についてですが、これはある意味当然の問題です。筑波大学は元「東京教育大学」ですが、教育大学でも学芸大学でもないので、教職を取ることと卒業に特に何の関連性も持たせていません。単純に他の学生より多くの履修をしなければならなくなるわけですから、当然自分が専門としている学類の専門科目などに対して割ける時間は相対的に少なくなります。特に教科に関する科目の他学類開講比率が多い場合、相手は教職には関係ない概論なども既履修という前提で話を進めてきたりして、名目以上の勉強量が必要になる場合も少なくありません。実際これが苦痛で途中になって教職を切る方は数多くいます。これを乗り切るには全てに全力を注げる優等生みたいな人間か、全部を低空飛行でギリギリこなす人間になるしかありません。僕は絶賛低空飛行中です。多分大学側は前者しかいないと思ってこんな制度をほっといたままにしてるんだと思います。

 次に2つ目についてですが、各学群・学類の時間割は基本的に教職課程とのバッティングをあまり考慮されて組まれているわけではありません。一応標準履修年次に沿えば、自分の所属学類対象の教職の講義と学類の講義が被ることは少なくなりますが、教職の講義は来年度以降の開講が確実に保証されているのに対して、学類の講義が来年度以降も開講されているという保証はどこにもありません。特に最近は大学改革と銘打って平気でコースやら講義の中身がコロコロ変わります。また、退職した教員の分野について補充がされない場合もしょっちゅうです。つまり脳死で標準履修年次と対象学類に沿って講義を取ると、親の死に目に会えない可能性が出てくる、というわけです。油断なりませんね。

 この問題に対しては一応ソリューションがあり、なるべく教職に関する科目について集中講義を受講することで、ABモジュールの空きコマを維持することが可能です。2019年現在、「特別支援教育」以外のすべての教科に関する科目について集中講義が開講されています。集中講義にも対象学類はあるにはあるのですが、別に制限ではないので、何もためらうことなく履修登録してかまいません。

 話はそれますが、集中講義は実際モジュール中の講義より楽です。なぜかというと、「講義を行う教員が外部なので採点に時間をかけられない結果甘くなる」「モジュール中と同じ教員でも無給でやっているのでモチベーションが低く、早く終わることも多い」など、いろいろなことが考えられたり噂されていたりしますが、僕個人としては「そもそもモジュール中の講義には全10回+テストの時間があるにもかかわらず、集中講義は10回の間でテストまで終わらせる必要があり、スピーディな展開が求められる+二日間で暗記を強いるのはいくら何でも無茶」ということから、テストやレポートがあっさりしたものになりがちなことが原因なのではないかと考えます。ここの記述で日本の教師教育に憂いを感じた人はぜひ教育学研究をされてみることをお勧めします

 他にも個人的には「出席を10回もできないから集中講義は2回で終わるので優しい」と思っていますが、こんなだらだらした人間は教師として不適格だと思います。

 ここまでの利点がありながら、ではなんで現実問題としてABの空きコマで苦しんでいる学生が多そうに見えるのかというと、皆さんまじめだから…というのもあるかもしれませんが、普通、一般的な大学生なら土日には予定があるからです。僕は予定が無かったので集中講義を活用しています。なので集中講義の利用は、学問的な親の死に目には会うことができるかもしれませんが、本当の親の死に目までに孫を見せられる可能性はどんどん遠のいていく、と理解しましょう。僕はほぼあきらめかけています。

 というよりこの大学の場合、「他学群・学類」の講義を制限なしに取れるから真の総合大学、みたいな適当なことを抜かしているわけですが、別に講義の時間割は他学類の聴講なんぞ歯牙にもかけていないため、実際に取れるのは専門科目や演習だけだったりと、かなりいびつです。今年度人文・文化学群で行われたカリ編の向かい風ももろに受けており(特に国語)、かつて1.5単位だった講義が軒並み1.0単位にされたわけですが、学群生に対しては残り0.5単位分のリカバリー講義的なのが用意されていたりされていなかったりしますが、教職ではそのリカバリーは一切使用できません。つまり単純にABモジュールで履修する必要のある科目が増加しました。そのせいでABモジュールの人文・文化学群の講義は例年にない位人が多く、教員の負担減なども目的にあったはずが以前よりよっぽど教員の負担が増したという話もあります。また、自学類で教科に必要な科目を碌に賄えない教育学類の流れ者が多くなったという話も聞きます。僕は教育学類です。

 流れ者ということで言うと、教科に関する科目を他学類で取ってらっしゃるみなさんはそれ以外にもスケジュールに苦しめられます。この大学は単位さえそろえればどの学類で卒業しようが資格をくれる大学ではあるのですが、逆に言えば規定の学類以外では、資格について「挑戦はできるが卒業までに単位をそろえられる制度的な保証はほとんどしていない」訳です。これがいいかどうかは各人の判断に任せます。因みに自然再生士補とかは必要単位1桁で資格が得られます。逆に対象学類以外で建築士とか目指しだすと茨の道になります。茨城だけに。

 ただし、教職だけは大学側も「そんなものをこの大学で取ろうとするなんてよほどの病人に違いない」と判断したらしく、挑戦前に必要な書類(通称:診断書)に担任からのサインなどをしてもらう必要があり、その後渡される「カルテ」に履修状況(通称:病状)を記入する必要があります。最近では社会工学類なんかだと全学学群教職課程委員会とひと悶着あったらしく、教職を取らない前提のギッチギチスケジュールを作り上げたせいで、統括先が社会工学類を嫌ってしまい、そこの学生はバトらないと教職の門すらたたけないらしいです。まあでも自分の学類から病人を出すのは嫌だという親心もわからなくはないです。でも病人を蔵の中に閉じ込めておくのもなんか前時代的な感じで嫌です。

 …話を元に戻すと、まず、教科に関する科目については必修となる科目とある程度の選択可能な科目があります。で、必修となる科目は分野ごとになるべく全部同年度に履修するのがいいらしいです。(この辺結構複雑で、毎年文科省からの科目の認定があるらしく、「認定したものが揃って履修済みか」という条件で分野ごとに教職免許の必履修の認定が行われます。で、最近はカリ編によって講義名が似ていても別講義になってしまっているものが多く、たとえばある科目のある分野について、必履修として入学年度の教職シラバスに「a」「b」があり、同分野について今年度のシラバスに「-a」「-b」があった場合、「a」「-b」を履修して分野の条件を満たしたとは言えない…ということです。同じ科目でも別分野なら別学類のカリキュラムに書いてある科目を利用しても大丈夫らしいです)パズルかよ。

 学類の必履修科目や専門科目はこんな事情一切考慮してくれませんので、必然的に空いているコマに教科に関する科目を詰める必要があります。しかし教科に関する科目もまたどこかの学類の専門科目ですので、その時間に教科に関する科目の必履修になることが多い、概論などのある程度入門者向けの講義がある保証などどこにもありません。その結果、1・2年では所属学類の必履修のせいで、教科に関する科目としては他学類の2年次以上向けの専門科目しか履修できず、時間に余裕ができてくる3・4年になってようやく概論を受講できるようになるなんて場合もザラです。つまり自分の専門としたい分野以外の講義の方が高度な内容を取り扱っているわけで、勉強のバランスがぐちゃぐちゃになってしまう事態が引き起こされるわけです。僕は現にそうなっています。

 最後に3つ目です。これは特に他学類の講義の履修をもって教職を取られようとしている方には深刻な問題で、筑波大学では基本年間履修上限が45単位に制限されています。一定の条件を満たすとそれが55単位にできたり無制限にできたりする(この要件については後日追記します)訳ですが、一定の条件を満たしていない人だって教職を取る権利はあると思います。

 …つまりはいくら空きコマがあっても、埋めることは困難を極めるわけです。となると開講時間だけでなく、「あと何個講義が取れるのか」を計算しながら教科に関する科目に該当する講義を履修する必要が出てきます。第2のパズルです。簡易的な計算式ですと「45-(選択)必履修単位数-その他自由単=教職に使える単位数」になります。この枠が意外と少ないので難儀する学類もあるようです。終始他人事なのは教育学類が「教科に関する科目なら他学類の専門科目も履修上限の対象外」とかいうよくわからない緩和措置をとっているからです。他学群の方々は、このパズルに悩まされているときは「夏季・春季休業中の集中講義」が履修上限対象外なのをうまく利用するほかないと思います。教科に関する科目で休業期間中に開講しているものほぼないですが(要検証)。たまに必履修や専門科目を後回しにして教科に関する科目を取る剛の者もいるそうですが、前述の通り少なくとも一部科目はカリ編で大惨事になっているので、昨年度に関しては選択肢の一つにいれてもよかったのかなと思います。ちなみに人間学群は休業中の集中講義もしっかりと履修上限に含まれます。なんでだよ。

② 卒業要件との噛み合わせが悪い

 最初から脱線して申し訳ないのですが、皆さんは大学受験される際、どんな科目選択をされたでしょうか(推薦とACでの入学者から目を逸らしつつ)。僕は筑波大を倫理で受験したのですが、私学で倫理を受験科目として使えるのって中央大学と日本大学しかないんです。なので仕方なく政治経済も勉強してたんですが、センター後になってくると「私大の受験が近いので政治経済の勉強をしたいが、その分第一志望である筑波大の受験勉強ができなくなり合格から遠のく」という嫌なジレンマを抱えることになってしまっていました。
 卒業要件と教職に関しても大体同じ関係です。①でご提示した数々のパズルもそうなのですが、こっちに関しては教職に関する科目も関係してくるので結構厄介です。
 この問題は学類・入学年度によってだいぶ差があります。教職が数少ない自由単として使えたり使えなかったりしてます。知り合いの社会工学類は最初から5か年計画だったりと半ばあきらめ気味です。正直、所属している教育学類では完全な自由単が40単位以上あるので全く問題ありませんが、自由単が多すぎることもそれはそれで問題だと思います。

③ 母校実習の要件が不意打ち

 筑波大学では基本、教育実習の実施校は近隣校か付属校で、「特別な事情」がある場合のみ、母校での実習を認めています。「特別な事情」ってなんだよと思いつつ、まあ人によって母校で実習したかったりしたくなかったりするでしょう。僕は母校の後輩と教員は好きなので実習も母校で行いたいのですが、実際には「特別な事情」以外のほかにも要件があります。それは、「標準履修年次が二年次以下の教職に関する科目について、二年次終了までに履修済みであること」です。一見するとそこまで難しくないように思われますが、先述した通り教職課程履修者の履修は標準履修年次なんぞに遠慮していたらろくなものが組めないので、意外と引っ掛かりやすいですので注意しましょう。しかもこれ、なぜか3年になるまで碌に情報が回ってこないので、人によっては置き「孔明の罠」になることすらあり得ます。また、中高一貫校での実習を希望する場合も「道徳教育」の履修が必要ですので注意してください。僕の母校出身の先輩はその点を知らなかったせいで母校実習が不可能になってました(ちなみに今、僕の道徳教育の教科書はその人に貸している状態です)。

 とまあ、取り敢えず書きなぐってみましたが、まだまだ不十分と思いますので今後も追記していきたい所存です(誰が見るのか?って話でもありますが)
 僕は教育学類として多少なりとも教育に関心があるのですが、意外と教員養成課程を俯瞰している研究というのは多くありません。大学教員も「今更学生の人格が教職課程ごときで変わるか」、ということなのでしょうか、教員養成の講義を受け持っている教員ですらこの分野の授業の制度や質については他人事なきらいが大きく、どちらかというと教員養成課程にいる学生についての研究事例の方が多いです。授業してて気になんないのかな。気にしてたらやってらんないんだろうな。が、今の教職課程では正直困難が多すぎて、教員の資質以外の部分でリタイアしている学生が多くいる気がします。気がするだけです。でも二日目の人実際に切ってるしな…それともこのパズルを解く力こそ教員に求められる力なのでしょうか。だったら嫌だな。
 最後になりますが、このチラシの裏みたいな駄文が、筑波大学で教職を履修する方の助けに少しでもなればなぁ、と思います。

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