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「自己肯定感」という言葉の罠 それは「否定をするな」という風潮に結びつく 本当に求められるのは「自己存在感」

 近年、巷で「自己肯定感」「自己肯定感を高めよう」という言葉が溢れている。このような自己肯定感という言葉が広まった背景には、日本の、とくに若年層の幸福度の低さが理由だという。

 内閣府の「若者の自己認識について」の調査によると、日本の若者は諸外国と比べて自己肯定感が低い人が多い傾向にある¹ 。

 年齢別にみると、とくに10代後半から20代前半にかけて諸外国との差が大きくなってくるようだ。アメリカやイギリス、フランスやドイツでは、80%以上の若者が「自分自身に満足している」と答えている。これに対して、日本の若者は46%弱だそうだ。

 あるいは、「自分には長所があるか」という問いにも、アメリカやイギリス、ドイツやフランスでは90%近くの若者が「はい」と答える一方、日本の若者は70%弱に留まっている。

 そしてこの調査でわかった結果としては、日本の若者が諸外国の若者と比べて、なかなか自分の良さを見つけることができず、また自分自身の生き方についても満足できていないことであるというのだ。

 「自己肯定感」という言葉は、1994年に臨床心理学者の高垣忠一郎によって提唱された ²。高垣は、自身の子どもを対象にしたカウンセリングの体験から、当時、「没個性化」が生じていた子どもの状態を説明する用語として、自己肯定感を用いた。

 一方で、常日頃から自己主張をしなければならないとし、とくに1970年代以降、自尊感情を高めようという運動が盛んになってきたアメリカでは、その時代から抑うつ、ナルシズム、不安といった問題が一層あらわれるようになったという調査もある ³。

 ただ、これだけ自己肯定感という言葉が広がっても、その解決策が、「自分の良さを見つめよう」とか、「ありのままの姿を大事にしよう」であるとか、漠然としたものでしかないのが実情であるしか思えない。

 だが、誰もが自己肯定感を持ったら、世の中は大変なことになる。失政を犯した政治家も、「自分が正しい」と肯定し始め、そもそも世の中が大変なことになってくるはずだ。

 むしろ、自己肯定感よりも、「自己存在感を持とう」という呼びかけが正しい。この自己存在感とは、いうなれば自分の居場所が今ここに、自分の中にあるという安心感をもたらすものであるという⁴。

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なぜ、自己肯定感だけではだめなのか


 残念ながら、すでに過度な自己肯定感を求めることの弊害が起きている。とくに、「他者を批判しない」「批判をすることは悪だ」と考える若者が増えている。

 その結果として、すべてを肯定し、現状を肯定し、過度な批判を恐れ、失敗してしまうことを恐れ、変化を嫌がり、その結果として「正義も悪もない」現状を何もかも追認してしまう若者が増えていっているような気がしてならない。

 ただ、実のところ、この世の中は、絶対に許してはならないものがある。「自己肯定感」という言葉は、その倫理的・哲学的な問いを無視している。

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