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未来の明るいこれからの法務

noteを使う最後の日が3年前になっている。。

お久しぶりの投稿である。
裏legalACへの参加は、私のこれまでとこれからをアウトプットするのに最良の機会である。この場を借りて感謝する。

私はこの3年で新たな企業に転職をしている。
AI、メタバース、決済サービス、投資、マーケティング、なんでもやっている会社にいながら、これから3年先の組織像を作るために、これが法務業務という業務や一般にそうでもないといえる業務まで、いかに事業のために貢献できる専門知識とはなにか、それによりどんな結果を生み出せるかを日々検証しながらいる者である。
いま所属している企業には世界的にも有名な方が取締役にもいるから、最先端な技術情報の取得はおそらく日本でもトップクラスに早いだろうと思われる。

ただ、そんな最先端な技術情報よりは、我々リーガルパーソンにとって、今後の価値提供をどのようにしてゆくかが大きな興味になるのだろうと考えている。
リーガルテックが流行りだし、機械的な処理に対する価値を自分としてはあまり重要ではないと思えるようになってから、あえてすべての入り口となる事業部門の中に飛び込んでみた。そんな実際の経験からここ3年先を予想し、このエントリにしたいと考えている。

1. AIの進化により、企業法務の業務工数は減少する

なにをいまさらを思う人は多いだろう。逆に、工数は変わらないと思う人もいるのかもしれない。
しかし、法務業務のすべてを棚卸したとき、かならずAIの進化により置き換わる業務があることは事実である。専門的な知識のリサーチ、契約書作成、裁判例の収集などは過去のデータを参照しながら生成しているのが基本であるから、まさにそこはAIが得意とするところである。このエントリを読まれる方にわざわざそれを説明する必要もないであろう。
業務工数が減ったとき、会社として、事業部門として、コスト部門といわれる悲しい立場であるわれわれは、個々の業務に対する業務時間が変わらないとなると、効率化ができない部門であるとか、新しいサービスを取り入れるような柔軟性のある部門ではないとか、一生懸命に業務に向き合えていたとしても、それは残念ながらこれからの評価につながりにくくなってくることはほぼ間違いないといえるだろう。いかに、リーガルテックやAIを導入することでは効率化は計れず余計に時間やお金をかけてしまうだけだと声高に叫んだとしてもだ。なぜなら、企業法務の観点ではいかに問題のない契約を作成するか、リスクマネジメントをするか等になりがちだが、事業部門は取引をまっすぐに向き合っており、上手にリスクテイク出来ない者は事業部門として使えないと思われがちな者になるからであって、このリスクの観点をどのように企業法務と事業部門ですり合わせるかが大抵どこの法務部門でも課題になっている。特に問題なのは、法務部門が事業部門のことを理解している、わかっていると誤解しており、本当のところで事業部門がなにをしているか、事業部門の苦労を理解した上で事業部門に向き合えているのかについて、法務部門においてそれができていると客観的にいえそうな人をこの15年ほどでほぼほぼ見たことがないのである(すべてではないとはいわないが、本当に数が少ない。)。大抵、理解しているという人は、事業部門に顔を出す機会(顔を出すというのは比喩で、物理的に顔を出すことだけを指しているのではない)が週に数回数時間程度しかないにもかかわらず、理解していると過信しているケースがほとんどである。

2. 企業法務部員の価値向上のためには、事業部の現場に出ることが必要

故寺山修司の有名な著書「書を捨てよ、街に出よう」という作品があるが、いまでこそこの作品の意図について振り返ってもいい時代になってきたような気がしている。寺山は、書を捨てよとはいっているものの、実際に書を捨てなければいけないとはいっておらず、むしろ多くの書籍を読み多くの書籍を引用しながらも、街に出ようと叫んでいる。ここでいう街とは、我々にとっては、現場・事業部がなにをしているか、である。書とは、法律書籍や契約書に記載されている文言に置き換えてみていただきたい。いかに文字面でリスクがないように記載をしたとしても、現場は相手方との信頼をベースにその取引を継続して進めている。ここに、契約書の文言については二の次といっても過言ではない。仮にリスクがある条項があったとしても、信頼をベースに自社の取引を円滑に進めるために、請求するつもりはありませんからという交渉のカードにするケースがある。これは原則として法務部門への相談はない。法務部門への相談をしたら、形式的にリスクがあるといわれるのみだからである。このようなそれぞれの立場に乖離が生じていると、いつまでも法務と事業部門の垣根が埋まることは無く、法務として真の価値を提供できるかといえば、正直、その未来は暗いものになるだろうと考えている。

3. 企業法務の本質的な存在意義を見直す必要がある

企業法務の本質的な存在価値を見直すといっても、そもそも法とはなにか、といった議論になる可能性があり、ここについて深掘りするには著名な学者たちもうまく言い表せていない。なぜなら、様々な考え方ができるため、一義的に考えることはほぼ不可能であるからである。
そのため、法とは何か、法律家とは何か、そのような広い概念で企業法務に向き合おうとすると、企業法務という価値からはずれてしまう。われわれは企業+法務である。大きな意味は「企業」であり、企業を支えているのはやはりお金を稼いでくる事業部門であり(ここは長年法務をやってきた身としては言い切りたくはないが、ここを受け入れてからでないと企業法務の本質的な価値について語る根拠に乏しくなる)、その事業部門に良い道をガイドし、事業部門がまだ見えていない道筋をみせてあげることに意味があることは、有名な話である。
しかし、ナビゲーション機能だかクリエーション機能だか、そのような漠然とした聞こえのいい言葉に対して喜んではいけない。どのようにナビゲーションするのか、どのようにクリエーションするのか、今一度、2~3回繰り返して自問自答をしてみてほしい。そう、現場を深く知らなければ、これらの機能はとうてい実現できず、会話もどこかでズレを生じたままで、自己満足の契約やコンプライアンス施策等を毎回繰り出すことになってしまい、このような場合では仕事で現場との溝がうまることはさほど大きくない。

4. 企業法務部門が活躍できる価値とは何かを考える

このエントリを読んでくださっている各位には私は声高に叫びたい。
事業部門は、敵ではない。ぜひ、いまよりももっと(今の段階ではきっとまだ足りていない)事業部門の味方であることを心の内から伝えてほしい。
AI等の進化により、専門家でないとリサーチできなかった業務の価値は格段に減ってくる。そうすると人間的な価値が見直されると多くの学者たちが話している。人間的な価値とはなにか、ときおり不合理で、失敗もするが、どことなく理解ができる、機械では置き換えられない人間臭さもその一つである。あなたにとって大事なこととはなにか。私は、私の幸せ、家族の幸せ、社員の幸せにつながることを続けることで、実現したいものがある。幸せにつながらなそうなことは、相手にはあまり伝わらない。幸せにつながることは法律という専門分野が有益である。そして法律というお経のような高尚な存在を相手に読み聞かせ理解させるのではなく(読み聞かせ等はこれからはAIの仕事だ)、高尚なお経等にかかれている本質をもって、現場の幸せにつなげるために現場に出るのである。そうだ、いまでこそ「書を捨てよ、街に出よう」である。専門的な知見がある我々だからこそ、現場に出て、各位を幸せにできることが多くある。いまがまさに、そのチャンスである。

5.最後に

以上、稚拙・駄文失礼した。途中修正すること一切なく、書き殴ってしまった。しかしあえて、生々しい文章として、このまま記録し、エントリにかえさせていただく。あらためて、この機会をいただき感謝する。


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