桜吹雪

人差し指は、着地する場所を決めきれずにふらふらと宙に浮遊している。

『あなたはどんなタイプですか?以下の中から選んでください』

その下に並ぶ箇条書きの上を何度も何度も行き来する。
リーダーシップ…絶対ない…
鼓舞する…したことない…
管理…向いてない…
サポート…してもらってばかり…

はぁっと吐き出された重たい息の塊から逃れるように人差し指は引っ込んだ。
画面をもう一度遡り、太字の題名まで戻った。
『受賞者アンケート』
目が疲れた気がする。ガラスの外、曇り空と同化した桜の花を見た。桜ってあんなにくすんだ色してたっけ。

去年の春。そう、春だった。桜が舞っていた。立ち上げるプロジェクトの引き継ぎとして、他オフィスでの研修を言い渡された。電車を乗り継ぎ、降り立った駅は桜吹雪だった。花びらと春風に絡みつかれながら毎日通い続けた。恐ろしかったのは、それが私一人だったということだ。管理職の上司は一人来ていたが、彼女は彼女の業務を引き継いでおり、実務は私の担当だった。彼らの培ったノウハウが、この私のちんけな脳みそに詰め込まれていった。研修期間がおわり、その脳みそは所属オフィスに戻った。マニュアルや一切の書類はすべて箱詰めされ、私とは別ルートで所属オフィスへと送られた。この膨大な実務内容を運ぶ人間が私しかいないという心細さと重圧を感じていた。

舞い散った桜の花びらはどこへ行ってしまうのだろう。日本全国ものすごい量の花びらがいつの間にか姿を消す。風に揉まれて砕け散り、雨に濡れてアスファルトに貼り付いて、足早に行き交う人々の靴の裏ですり潰されて跡形もなく消え去ってゆく。そして5月がやってきた。

プロジェクトが派手に転けた。失敗した。納期に間に合わせられなかった。要因はいくつもあった。私に足りなかったものもあれば、それ以外のものもあった。様々な要因が絡み合って太刀打ちできないほどに強靭な壁となっていた。ゴールデンウィークなどなかった。毎日出勤した。帰ると毎晩22時だった。それでも間に合わなかった。やってもやっても追いつかなかった。家族にも会社にも迷惑をかけて、あらゆる人に助けられ、なんとか初めての納品を完了した。
私は私を呪った。無力な自分を呪った。自分の名前の横に付いた”L”が辛かった。それはリーダーの頭文字だった。
なんで引き受けようと思ったのだろう。もともと自分は学生のころから責任を負う位置に立つのが苦手だった。班長も学級委員長も向いていない。薦められるたびに曖昧な態度でずっと逃げ回ってきた。長と名のつくものが怖かった。他人に指示を出したり注意したり励ましたりの一切が怖かった。人の前を旗を振って歩くようなことができなかった。こそこそと逃げ回り、社会の隅の方で静かに息をしているような人間だった。大人しくそのままで居ればよかったものを、打診されてこんな私でもなにか力になれるならと引き受けたのだった。それが間違いだった。とんだ勘違いだった。私は呪った。自分を呪った。

―――

それでもカレンダーは進む。
次月納期に向けて、スタッフが何人も投入された。今回こそは失敗できなかった。何が何でも立て直して納期前に納品しなくてはならなかった。それ以外の選択肢がなかった。泣きたいけど涙が出ないぎりぎりの所に立っていた。
スタッフの一人が、投入されたその日の朝に私に言った言葉を忘れない。彼女は私の目を真っ直ぐ見て言った。その眼差しや眉の角度、唇の動きまで鮮明に覚えている。
「いてらさんだけ頑張ることはない。私も一緒にやります」
言葉を返そうと口を開いて、でも詰まった思いが吐息となって音もなくこぼれて、少し遅れてありがとうと言うのがやっとだった。

チームをまとめるとかリーダーシップを発揮するとか、そんなことは頭になかった。大体そんなものは持ち合わせてなかった。とにかく皆にあらゆる業務を割り振りそれぞれのOJTをした。人が足りなければ他業務にお願いしてヘルプを出してもらった。残業は毎日した。休日も出勤した。皆で走り続けた。

あれから一度も納期を超えたことはない。事業が拡大する中でも、業務変更が起こる中でも、私達はやってきた。
窓の外、桜の木を眺める。3月31日だ。明日は4月だ。一年経った。あれから一年経った。

ーーー

先月、職場でキャリアカウンセリングがあった。
カウンセラーと一対一で一時間、カウンセリングを受けた。これまでの経歴、今現在の仕事内容、これからの展望などを話した。

「湖嶋さんは、プロジェクトのリーダーをされてるんですよね?」
親しみやすい笑顔で女性カウンセラーは尋ねた。
「あ、はい、でもほんと、名ばかりのリーダーで…」
微笑む彼女に促されるように言葉が滑り出す。
「周りのスタッフに気づかされたり助けられたりすることばかりで、いつもありがとうしか言ってないと思います。リーダーとは、言えない感じです」
彼女は優しく頷いている。

「…ずっと逃げ続けてきたんです。責任のあるものから。怖くて…。もともと消極的で誰かを引っ張っていけるタイプではないし…。今その立ち位置になって、思い描くリーダー像からかけ離れていることが、やっぱり辛いです。迷惑かけているとも…思います」
彼女は大きく数回頷いて、ふわっと笑った。

「どんなリーダーがいてもいいと思うんですよ。勢いよく引っ張るリーダー、冷静沈着なリーダー、そして湖嶋さんのようにチームが助けたくなるようなリーダー」
「助けられるリーダーって…いいんでしょうか…」
「良いと思いますよ。そのリーダーの頑張りにスタッフが集まって団結して。リーダーにありがとうと言われることに喜びを感じるスタッフは多いと思います」

1時間はあっという間だった。私は深くお辞儀をして席を立った。

ーーー

「おめでとうございます」

拍手の中に縮こまりながら埋もれていた。
『会社に貢献したスタッフ』として全国から選ばれた社員のなかに私の名前があった。
「なんで…。大失敗してすごい迷惑をかけたのに…」
つぶやく私に、
「そこからの追い上げが凄かった」
と上司が笑った。

来月に控えた授賞式に向けて、事前アンケートが送られてきた。

『あなたはどんなタイプですか?以下の中から選んでください』

どれにも当てはまらない気がして、結局なんとか一番違和感の少ないものを選んだ後に、説明文を付け加えた。

「このアンケートに回答している今でも、なぜこの賞をいただけたのかわかりません。
周りのスタッフに力をもらっている毎日です。
一番に助けられている身でありながら受賞したということは、チームの皆に感謝の気持ちを伝える場をいただいたということなのだと受け止めております」

コトン、とテーブルにスマホを置いた。
枝先がたわむほどにこんもりと付いた桜の花を見つめた。
春だ。春が、また来た。
この花びらが消えゆく頃、私の春は何色をしているだろうか。

春はいつも明るい色をしているわけじゃない。けれど、毎年同じ色をしているわけでもなさそうだ。



〜 #お花の定期便 (毎週木曜更新)とは、湖嶋家に届くサブスクの花束を眺めながら、取り留めようもない独り言を垂れ流すだけのエッセイです〜

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