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悔いという

娘の墓へ行ってきた。
彼女が眠る場所は、家から130kmほど。日頃、勤務先と保育所をくるくるまわっているだけの人間が、時速80キロで高速の上を数時間に渡り滑り続けるだなんて、こうして文面で見るだけで手の平から汗が滲むが、あの子の為だから仕方がない。

ようやく高速を降りると、今度は山の頂きを縫うようにジグザグに登っていく。たどり着くその場所は、天と地のちょうど合間のようで、音は遠く太陽は近い。裾野に広がる町並みをただ眺めている猿の後ろ姿がぽつぽつとあった。



墓石を設置しに来たのだった。
夫が自分たちで作ろうと言い出し、ホームセンターでセメントやタイルを購入するところから始まった墓石である。何も知識のない私は夫に言われるがまま動いた。出来上がったのは、いつか彼の母が眠った場所に置かれていたものと同じ形をしていた。椰子の木揺れる南国の地、湿度を含んで黒く豊かな義母の地が浮かんだ。
夜勤明けの夫が掘った、放課後の長男が塗った、私に促されながら次男が三男が貼った、手作りの墓石。子供だましのようなそれも、彼女ならきっと喜んでくれるだろうと皆で話した。

皆でしっかりと彼女の上に置いた。
生まれ落ちて巡り合って結びついてほどけていった。見つめ合ったその目も、幾度撫でたその毛並みも、大地となりこの山となる。大自然に混じり合い、果てには溶けていく君を思った。

ーーー

無事帰宅し、次の日は月曜日でとにかく慌ただしかった。長男が登校し、次男三男を保育園に送り終わり、勤務先へ向かおうと、車のエンジンをかけた。
それと同時に流れ出てきた曲は、終わりの部分だけが切れ端のように残っていたらしく、ひらりと舞ってすぐに終わった。しん、とした空間に次の曲の気配がする。

立ち上がった初めのたった数音が、私の鼓動に重なった。
前日の高速運転中に、助手席の夫が設定したプレイリストのままだったのだ。それは、出逢ったばかりの私達の表面温度を冷ましてくれた涼しげで軽やかな曲だった。

命と向き合った前日が、まだ尾を引いているようだ。
24のまだ無鉄砲だった私が、26のまだ無邪気だった彼と聴いた、軽い潮風のようなこの歌の中で、ふたりで歩んできた十数年が呼び起こされていく。そしてそれらが、あの子の命と交互に折りたたまれていく。

夫と死に別れる瞬間、私は何を思うのだろう。
してしまったこと、してやれなかったこと、共にしようと言ってこぼれ落ちていったことなどを呆然と眺めるのだろうか。何故もっと向き合わなかったのか、何故もっと思いやれなかったのかと泣いて。この人が元気だった頃に戻れるなら何でもするのにと嘆いて。
そんな姿が、ありありと浮かんだ。

そして、『悔い』という言葉だけが、胸の奥底に食い込んだ。

ーーー

山の上、小さな墓石を見つめて、幸せだったかと何度尋ねた。もう居ない君に何度訊いた。
構ってやれないときがあった。我慢させたこともあった。してやりたいことがあった。してやれないで終わった。
手を合わせると償いの言葉が滲み出てしまう。

夢や憧れを描きながら、妥協や挫折の相手をしている。欠け落ちたピースをかき集め、なんとかはめ込もうとするけど、はまらないことなんてもう分かっている。分かっているからこそ、どうしようもなく苦しい。
もう今は亡きその人に伝えられない思いを、こうしてただ抱え続けて生きていくのだから。

でも、と立ち止まる。
もしかしたら、その悔いごと包んで愛なのかもしれない、と。
満ち足りた日々も欠け落ちた日々もすべてが『あなたと私』で、残された私のこの悔いごとすべて、あなたへの愛なのかもしれないと。

命とは不思議なものだ。始まりも終わりも選べずに、地球の何処かにそれぞれに落とされて、徐々に互いを手繰り寄せ、絡まり合っていく不思議なもの。
すれ違ったり寄り添ったりする不思議な生き物の一人として今、悔いという愛を見つめている。









ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!