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身の丈を知ることから

今日の言葉

二宮翁夜話より引用

98) 貧富の因果は明白
翁のことばに、貧となり富となるのは偶然ではない。富にもよってきたる原因があり、貧にもよってきたる原因がある。ひとはみんな、財貨は富者のところに集まると思っているが、そうではない、節倹なところと、勉励するところに集まるのだ。百円の身代の者が百円で暮すときは、富の来ることもなく貧の来ることもない。百円の身代を八十円で暮し、七十円で暮すときは、富がそこに来、財がそこに集まる。百円の身代を百二十円で暮し、百三十円で暮すときは、貧がそこに来、財がそこを去る。ただ分外に進むか、分内に退くかの違いだけだ。ある歌に、「ありといえばありとや人の思うらん呼べば答うる山彦の声」というように、世人は今あってもそのある原因を知らず、「なしといえばなしとや人の思うらんよべば答うる山彦の声」で、世人は今ないときにそのないもとを知らない。およそ今あるものは今になくなり、今ないものは今にあるようになる。たとえば今あった銭がなくなったのは物を買ったからだ。今しがたなかった銭が今あるのは働いたからだ。なわ一房なえば五厘手にはいり、一日働けば十銭手にはいるのだ。今手にはいる十銭も、酒をのめばすぐになくなる。 明白疑いない世の中だ。中庸に、「誠なればすなわち明らかなり。明らかなればすなわち誠 なり」とあるように、なわ一房なえば五厘となり、五厘やればなわ一房来る、晴天白日の世 の中なのだ。

【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】

身の丈を知ることから

最近、メディアでの貧困層の増加についての報道が目立ちます。

確かに、現在の日本では収入格差が広がっており、お金を持っている人と持っていない人との差は拡大していると感じます。

しかし、もし自分が貧困状態になったとしても、心まで貧困に陥るべきではないと思います。

日本にはセーフティーネットが存在するため、生活に困窮しても餓死するようなことはなく、必要であれば生活保護を受ければいいと思います。

ただし、生活保護を受けるのは困窮から抜け出すための手段であって、保護を受けることが目的ではありません。

心まで貧困してしまうと、保護を受けることが目的となり、いかにして楽に生きるかばかりを考えてしまうものです。

貧困から抜け出すためには、収支のバランスが重要になります。

1円でも多くの収入を得るような生活をすれば、金次郎が語っているように、やがて貧困から抜け出せると思います。

お金がないとき、お金を得る方法ばかりを追求し、使っているお金に対する意識が欠けていることが多いです。

しかし、支出が多ければ、それ以上の収入を得る必要があります。

貧困から脱出するため、そして貧困に陥らないように、まずは自分の身の丈に合ったお金使い方やお金の収支を知ることが第一歩だと思います。

二宮金次郎の夜話第98段「有常無常は半円観」を読んで、そんなことを感じました。

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