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今世をしっかりと生きること

今日の言葉

二宮翁夜話より引用

135) 現世の報恩勤行が大切
翁のことばに、世間ありきたりの人情では、あす食うべき物がないときは、どこかへ借りに行こうとか、救いを請おうとかする気持があるけれども、いよいよあすは食う物がないという時には、かまも膳も椀も洗う気持がなくなるといっている。人情は実際そんなもので、もっともなことではあるが、そういう気持が、困窮がその身を離れない根元なのだ。どうしてかというと、毎日かまを洗い膳や椀を洗うのは、あす食おうがためであって、きのうまで用いた恩のために洗うのではない。これが心得違いなのだ。たといあす食うべき物がなくても、かまも洗い膳も椀も洗い上げて餓死するがよい。それは、きょうまで用いて来て命をつないだ恩があるからだ。これが、恩を思うという道なのであって、この心がある者は、天意にかなうから、きつと長く富を離れない。富と貧とは、遠い隔てがあるものではない。あす 助かろうということばかり思って、きょうまでの恩を思わないのと、あす助かろうと思いながらきのうまでの恩を忘れないのと、この二つの相選だけだ。これが大切な道理であって、よくよく心得るがよい。 仏教家は、この世は仮の宿で、来世こそ大切だと教える。来世の大切なことはもちろんだが、今世を仮の宿として軽んずるのは間違っている。いま、一つの草でこれをたとえよう。
草となったからには、来世の実が大切なのは無論だけれども、来世に良い実を結ぶためには、現世の草のとき、芽立ちから精を出して、露を吸い肥しを吸い、根を伸ばし葉をひらき、風雨をしのぎ、昼夜精気を運んで、根を太らせ枝葉を茂らせ、良い花をひらくように丹精しなければ、来世に良い実となることができない。だから草の現世こそ大切なのだ。人もそのとおりで、来世が良いようにと願うならば、現世において邪念を断ち、身を慎み、道をふみ、善行を勤めることだ。現世で人の道をふまず、悪行をした者が、どうして来世に安穏でいられようか。例の地獄は悪事をした者の死後にやられるところ、極楽は善事をした者の行くところということは、鏡を見るように明らかなのだから、来世の良しあしは現世の行いにある。 だからして、現世を大切にして、過去を思わねばならぬ。まずこの身はどうして生れ出たかと、あとを振り返ってみることだ。論語にも「生を知らざれば、いずくんぞ死を知らん。」とある。人の本性は天の令命にある。身体は父母のたまものである。我というものは、もともと天地の令命と父母の丹精とでできたものだ。まずこの道理からつきとめて、天徳に報い、父母の恩に報いる行いを立てねばならぬ。本性にしたがって道をふむのは人の勤めだ。この勤めさえ励んでおれば、来世は願わなくとも安穏なこと疑いない。どうして現世を仮の宿と軽んじ、来世だけを大切にすることがあろうか。現在には君があり父母があり妻子がある。だから現世は大切なのだ。釈迦がこれを捨てて世の外に立ったのは、衆生を済度するためだった。世を救うには、世の外に立たなければ広く救いがたいからだ。それはちょうど、自分がすわっている畳を揚げようとすれば、自分が畳の外に移らなければ揚げられないようなものだ。それを世間の人が、自分一身をよくするために君や親や妻子を捨てるのは、迷いというものだ。ただ僧りょは、この法を伝えた者であって世の外の人だから別なのだ。 混同してはならない。こういうことが、君子と小人の分かれるところで、わが道の安心立命はここにある。迷ってはならない。

【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】

今世をしっかりと生きること

私の住む沿線の鉄道では人身事故がよく起きます。先日は同じ駅で1日に2回の人身事故が発生したようです。

それだけ、自ら命を絶ってしまう人が多い現代社会です。 きっと、何かに追
い詰められて逃げる道もなくなり、苦しい毎日の中で「もう、死んでしまった方が楽になれる」という思いで自ら命を絶ってしまうのだと思います。

しかし、本当に「死んでしまえば楽になれる」のでしょうか。

残された家族は深い悲しみと苦しみを味わうことになります。また、自ら命を絶つことで今世が楽になれても、来世も同じような苦しみを味わうことになるかもしれません。

もし、魂に輪廻転生があるのであれば、今世の苦しみは今世のうちに解決しておいた方が、来世をより楽しく生きられるのではないでしょうか。これが私の個人的な考えです。

では、今世の苦しい状況から抜け出すためにはどうしたらよいのでしょうか。

二宮金次郎は過去を振り返ることを提言していますここまで。

ここまで自分が生きてこられたのは、両親のおかげであり、何不自由なく食事をし、日々を過ごしてこられたからです。まずは、これまで生きてこられたことに感謝することから始めましょう。それだけでも、少し心にゆとりが生まれると思います。

次に、目先の問題だけに囚われずに、物事を客観的に見直すことが大切です。

悩んでいるときは、1つの問題に意識が集中してしまい、それがとてつもなく大きな問題に感じられます。一度、客観的に物事を見直すことで、新たな方向性が見えてくることが多いのです。

少しでも方向性が見えてくれば、気持ちは徐々に回復し、いつかは悩みが自然と消えていくでしょう。

死んでも来世で同じ悩みを抱えるのであれば、今世のうちに解消しておいた方が、結果的には楽になれるのではないでしょうか。

二宮金次郎の夜話135段「現世の報恩勤行が大切」を読んで、このようなことを感じました。

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