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福井弁への切り替えとスキマスイッチ

3年ぶりに日本に一時帰国して里帰りしました。

一瞬で標準語から福井弁にスイッチしました。(イタリア語やフランス語にはしばらくかかるのに。ドイツ語はもはや永遠に切り替わらなさそうな気もしています)

(福井)方言が使われる環境で標準語を話していると、気取っている、冷たい、距離を置いている、などの印象を与えがちです。
久しぶりに会った家族、親戚、同級生とも福井弁全開で盛り上がります。

海外の人と、その人の言語で話すということはそういうことかなと思いました。
共通言語が英語だとしても、相手のお国言葉で話し掛けるというのが、相手の懐に飛び込もうとしている感じでうれしいのではないかと思います。

サピアウォーフ仮説というのがあるらしく、聞き齧りでは『使う言語でその人の性格が変わる』みたいなものだったような気がします。
確かにイタリア語になると私は大半のイタリア人がそうであるように社交的に変わります。

しかし、ある時に気づいたのは、イタリア人モードになっていれば日本語を使っていても私はイタリア人的になるということでした。
ミラノのドゥオモの屋上で、ロンドンの同僚の日本人女性と出会った時。東京で行われた留学フェアで留学先の学校のブースに立って声掛けしている時。
日本語なのにイタリア人モードになっていました。

サピアウォーフ仮説の関連のちょうさで、アメリカに嫁いで行った日本人女性へのインタビューで「あなたの人生を振り返ってください」という質問を英語と日本語でした時に、英語だと力強い肯定的なコメントだったのに対し、日本語だと控えめな「大したことありませんよ」的な回答だったとか。
これは言語の違いというよりは、日本語を使うことで日本人モードに切り替わったということではないかと思います。
謙譲の美徳とか、そんな感じ。

私が福井弁に切り替わると、福井で暮らした高校までの自分のモードに切り替わるので、なので同級生との話も盛り上がるのではないかと思います。

心理学に「スキーマ」という概念があるらしく、ざっくりと「考える際の枠組み」みたいなものかなと想っています。
言語を切り替えることをきっかけにスキーマが変わることがあるということかなと思います。
そういえばスキマスイッチというグループがいたような。

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