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《迷走のループ》第6話 煙 【小説】

6-1 薄暗い部屋

(カタカタカタカタ…)

カーテンの引かれた薄暗い部屋の中で、パソコンのキーボードを叩く音だけが響いている。
リズミカルに響くその音が途切れるのと同時に、ギシッと椅子の背もたれが倒れる音がした。

「ふうっ…」

太った男がため息を漏らす。

男は椅子からのっそりと立ち上がり、キッチンの方へとのろのろと歩き出した。

キッチンには小さな容器が置いてあり、男がそれを開けると中には茶色のCBDワックスが入っている。
男は慣れた手つきで、それを横に置いてあったベイプの中にセットし、スイッチを入れると口に持っていった。
セットされたワックスはすぐに気化し、彼の肺を満たしていく。

男の名は篠原武大。
元々、喫煙習慣のあった篠原は、ある人物の勧めがきっかけでCBDを嗜むようになった。
今では煙草よりもむしろCBDを使っている方が多くなっている。

(ニコチンよりもCBDの方が習慣性も無いし、体にも良いしな…)

彼は元々、物事を自分に都合良く捉える傾向にあった。
初めは恐る恐る使用していたCBDも、今では全く慣れたもので特に罪悪感も無く使っている。

半軟禁状態にあると言っても良い、このアパートの一室で連日、パソコンに向かい、妄想とも言えるような文章を書き続けることにストレスを感じた頃、彼をここに連れてきた山田恵子に勧められてCBDを使い始めたのだ。

確かに使ってみると、彼のストレスは和らぎ、リラックスできた。
そしてまた、彼は文章を書き始めることができるようになるということを繰り返しているのだ。

「まさかこんなところで毎日を過ごすことになるとはな…」

誰もいない部屋の中で、彼はつい独り言を漏らす。

(でも、こんな生活もそれ程、悪いものでもない…)

彼は心の中で思った。

一度はライティングの世界から足を洗った彼は、今では山石門土と名乗り、再度、文章を書き、発表している。
評価は真っ二つに割れてはいるが、インターネットの世界で発表を続けている彼の文章は、それに添えている画像の効果も相まって熱烈なファンもついている。奇しくも世間で、ディープステートだの闇の政府だのレプタリアンだのといった陰謀論が再燃したところに現実の世界でも戦争や災害が続いているような状況である。
そのような陰謀論に飛びついてしまうようなお粗末な精神構造の人間にとっては、ちょっと考えればとても信じられないような話でも証拠に見えるような画像や動画を付け加えてやれば頭の中で勝手にストーリーを作り上げてくれるのである。
それは、もう何十年と変わらない、愚かな人間の性とも言えるものであろう。

超有名なネッシーの写真、宇宙人捕獲の写真が合成であり、嘘だということが判明するまで、それは本物だと信じている人間は多数いたし、判明後ですら信じている人間は多数いる。
逆にアポロの月面着陸はスタジオ撮影されたと信じる人間も、今でも多く存在している。

人は自分の信じたいものを信じたいように信じる生き物なのだ。
証拠があるから信じるのではない。信じているものの裏付けとなる証拠を探し続け、それを取捨選択しているだけなのだ。

インターネットとSNSの発達、普及によりその傾向はますます強くなった。
人類の優れた頭脳が宇宙の真理に近づき、科学技術、文明をいくら発達させても、大多数の人間の精神性は石器時代のそれと本質的には変わらない。
朝、目が覚めたら、今日を生きるために働きに出て、快楽を求め、日が暮れれば眠りにつく。その繰り返しだ。

(僕はそんな奴らを、僕の才能で救ってやっているんだ)

篠原は本気でそう考えている。

山田恵子に言われた一言

「あなたの才能を活かしてたくさんの人を救うという運命が私には見える」

それが、今の彼にとっての支えとなっていた。

(代わり映えの無い毎日を送っている奴ら。それだけじゃあ、まるで動物と変わらないじゃないか。人間だけが想像力を持っている。現実とは違う世界を見ることができ、見せてやることができる僕は、さしずめ愚民を導く救世主ってとこかな)

それがこの薄暗いアパートで記事を書き続けている篠原がたどり着いた結論だった。

「さあ、今日も社会にインパクトを与えるような記事を書くか」

篠原は、再びパソコンの前に座り、キーボードを叩き始めるが、またその指が止まり、ふと考える。

(それにしても、この記事の写真、彼女はどこから手に入れてくるんだろう?それについては詮索しないことという約束になってはいるが、こんなことをして、彼女にどんなメリットがあるというんだろう?)

そんなことが頭に浮かぶと、篠原の心は少しざわつくが、元々、深く考えるタイプではない。

(まあ、なるようにしかならないさ。だけど、あの時、恵子さんに声をかけてもらわなかったら、一体どうなっていたんだろう…?)

篠原は、数か月前に空港で恵子に声をかけられたときのことを思い出していた。

6-2 運命の岐路

数ヶ月前、篠原は一人で中部国際空港にいた。
彩陽の貯金を持ち出し、彼女の名義で借金をした上でタイへと向かうつもりだったのだ。

彩陽に見つかり捕まるのを心配した彼は、成田よりはセントレアの方が見つかりにくいだろうと、敢えて名古屋発の航空機を選んだのだ。

そろそろ出国の準備をするか、と荷物検査の列に並んだところで背後から

「篠原さん」

と声をかけられた。

篠原が振り向くと、そこには少し太った女性がサングラスをかけて立っていた。
彼女はサングラスを外し

「やっぱりここに来たわね」

と微かに笑って篠原に語りかける。

「恵子さん…。ど、どうしてここに…?」

篠原は動揺して彼女に訪ねた。

「まさか、彩陽に聞いて僕を追ってきたのか?」

篠原の顔色は青くなり、手には汗をかいている。

「彩陽さん?何のことかしら?私はあなたに用があってここに来たの。あなたの情報は、この前お会いしたときに聞いていたから、あなたのことを占ってみたら今日、ここに来るだろうっていう結果が出たから、ここに来て待ってたっていうわけ。ぴったり当たっていたわね」

恵子は篠原にそう言って、少し自慢げに笑った。

「そんな…。占いで知ったなんて信じられない。まさかそんなことでわざわざこんなところまで来るなんて…」

篠原が言うと、恵子は腰に手を当て

「あら?私の占いが信じられないなんて失礼ね。私は自分のやりたいことがあれば、八戸にでも名古屋にでも、ニューヨークにでも行くわ。今回はどうしてもあなたに会ってお願いすることがあったのよ」

と言った。

「あなたどうせタイに行っても別に予定なんて無いんでしょ?飛行機はキャンセルして私のお願いを聞いてくれないかしら。悪いようにはしないわ」

恵子が篠原の目をじっと見て言う。

篠原は最初に恵子に会ったときから、独特のオーラを感じていたが、今回もそれを彼女から感じていた。

(ひょっとしたら、単に空気が読めなくて図々しいだけの女かもしれないと思ったが、そうでもないのかもしれないな…)

そう考えた篠原は、タイ行きを取りやめることにし、恵子に向かって言った。

「わかりました。そこまで言うのならタイに行くのは止めることにします。こんなところまでわざわざ来たということは、恵子さんにも何か考えがあるでしょうしね」

恵子は再びサングラスをかけ、

「その通りよ。じゃあ、こんなところで立ち話するのもなんだから、別のところで話をしましょうか。名古屋市内まで移動するけど良いかしら?」

と返事をし、篠原に訪ねた。

篠原が無言で頷くと、恵子は踵を返しセントレア駅の方へと歩き始めるた。

篠原は少し慌てて、スーツケースを転がしながら彼女の後を追うが、少し前まで、謂わばタイに「高跳び」するつもりだったのだ。
周りの人間が自分を見る目がどうしても「お前のやったことを知っているぞ」と言っているように感じてしまう。
どちらかといえば大柄な彼が少しでも目立たないように背中を丸め、掌や背中に冷や汗をかきながら恵子の後をついて歩いていく。

(何で僕はこの女の言う事を、あんなにあっさり受け入れてしまったのだろう…?)

歩きながら、篠原は考えるが答えは出なかった。

(どこか独特のオーラがある女だな、とは思っていたが、こんなにあっさりと怪しげな女の言う事を受け入れるなんて、自分でも自分のことが嫌になってくる…)

そんな篠原の思いには全く気づかないように山田恵子は駅に向かい、名古屋に向かう電車に乗り込み、篠原もそれに続いた。

名古屋市内に着くと、恵子はスマートフォンを取り出しどこかに電話をかけた。

「ええ、今から二人で行くから個室を用意して頂戴。ええ、20分くらいで着くと思うわ」

恵子は電話を切ると、篠原に対して

「これからタクシーでお店の方に向かうわ。個室だから周りを気にせずに話せるから安心して」

と言った。駅でタクシーに乗り込み、恵子が

「S町の星宮楼までお願い」

と運転手に伝える。

「はい」

初老の運転手は返事をすると、車を走らせた。

20分ほどで目的地の店に着いた二人は、店の中へと入っていく。

「山田様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

支配人と思しき男性が恵子と篠原を迎え、丁寧に頭を下げる。

二人が店の奥にある個室に案内され、席に着くと、恵子は案内をしてくれた店員に対して口を開いた。

「いつものお茶をお願い。それとお茶を持ってきた後は、XXXXXだから、しばらく誰も近づけないようにして」

篠原は恵子が最後に発した言葉が聞き取れなかったことが少し気になった。
声が小さかったというわけではない。聞き慣れない言葉…というか、聞き慣れない音だったのだ。強いて言えば、普段耳にしない外国語の中に日本語の中には無い音があるような感じとでも言ったら良いだろうか。
そんな音が恵子の口から発せられたのが意外だったのだ。
しかし、店員にとっては聞き慣れた言葉だったのだろうか。
特に気になるような素振りも見せず、恵子に返事をした後、恵子のオーダーしたお茶を持ってくるために厨房へと戻っていった。

部屋に二人きりになると恵子が篠原を見つめて言った。

「ここは私の昔の知り合いのやっている店で、こっちに来ると時々使わせてもらっているの。この部屋は一番奥になっていて、他のお客さんが来ることも、中での話が漏れることもないから安心して話ができるわ。
頼んだお茶は、海外から取り寄せている特別なお茶なの。それが来たら、私のお願いについて話をさせてもらうわ」

篠原は心の中で、一抹の不安を感じながら黙って恵子が話し出すのを待っていた。

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