第22話 もう一つのアグアスカリエンテス

僕がメキシコで長期滞在した街の名前はアグアスカリエンテスだったが、この言葉の意味は「熱い水」、すなわち温泉を示す。
実は中南米にはこの手の名前がけっこう色んなところにあって、そういう場所は大抵温泉があったりする。事実、マチュピチュの拠点となる村は今でこそマチュピチュ村と呼ばれているが、昔はアグアスカリエンテス村という名前で、山間に小さな温泉が湧いている。観光客が溢れかえって、今ではただの汚い温水プールだと聞いていたので僕は行かなかったのだが。
それに実はこの先、クスコとチチカカ湖畔のプーノとの中間地点に最高にいいアグアスカリエンテスがあると、自転車旅行者の間ではもっぱらの評判だったので、僕はそっちを楽しみにしていたのだ。
サヌキくん、モトミくんの順にクスコを立ち、
最後に僕が出た。きっとまたボリビアでもすぐ会えることだろう。

アンデスの山中とは思えない牧歌的な農村を四日ほど走り繫ぐと、四三三八メートルのラ・ラヤ峠に差し掛かった。隣を豪華観光列車のペルーレイルがのんびりと走っている。例の温泉はこの峠の四〇〇〇メートル付近にあるらしい。見落とさないように注意していたが、道路沿いにアグアスカリエンテスと書かれた標識が立っていて、温泉は難なく発見できた。
田舎臭い温泉の絵がペイントされたゲートの先に作りかけの建物があり、そこに泊まれるようだ。入浴料と宿泊料は合わせてたったの一〇ソル、約三〇〇円という破格値だった。宿泊台帳を記入していたら、直近の宿泊者に見覚えのある名前があった。あいつらもここに泊まっていったのか。
赤い色をした源泉のお湯が、長さ一〇メートルぐらいのプールにような湯船に引かれている。十湯ぐらいあるだろうか。源泉の周りには硫黄のにおいがかすかに漂っている。湯に手を入れてみると、うほっと声が出た。海外の温泉は得てしてぬるま湯ということが往々にしてあるのだが、ここのお湯は日本人好みのアツアツで期待が出来そうだった。
これまでもペルーでは、いくつか温泉に入ってきたがこの国の温泉はどこも外れがない。インカ最後の皇帝アタワルパは大の温泉好きで知られたそうだが、ペルー人はなかなか分かっているのである(そして彼はわざわざクスコから何百kmも離れたカハマルカの温泉で入浴中にスペインのピサロに捉えられた悲しい過去がある)
それにしても今日は土曜日ということもあってか、意外なほどに混んでいる。とはいっても地元民度百パーセントの超ローカル。
お湯の中に潜っては、ぷはぁと息継ぎをして遊ぶおっさんがいた。彼が潜る度に彼のケツが水面にひょうたん島のようにぽっこりと浮かぶ。そしてバシャバシャとバタ足を始める。おい、おっさんや、飛沫がこっちに飛んでるぞ。前言撤回だ。全く、お前ら温泉のおの字も分かっちゃいない。
そしてその脇でインディヘナのおばちゃんがおっぱい丸出しで湯船の縁に腰かけている。「うぅむ…」と僕はうなった。
そんなわけで僕は彼らが帰った夜に月見風呂で行こうと作戦を立てた。ここのお客はみんな地元民だから夜になると家に帰るので貸し切りで過ごせるのだ。辺りを散歩したり、併設の食堂でご飯を食べながら夜を待った。

午後六時を過ぎると辺りはすっかり山の静寂を取り戻し、西の空には落日が燃えていた。暗がりが広がる辺りに、もやもやとした湯気が立ち込める。タオルを手に持っていざ出陣。
昼間に湯音を確かめておいたお気に入りの湯船に素早く移動し、これまた素早く服を脱いだ。左足からそっと入泉。少し熱いくらいの湯温だったが、えいやっと一気呵成に肩まで浸かった。一、二、三…と数えていくうちに湯温に体温が徐々にに歩み寄っていくのが分かった。
じんわりと体が柔らかな熱に包まれていく感覚。澄んだ空気に闇夜を照らす月と、背後の山のシルエット、そして全裸の僕。何という、何という開放感なのだ。
「おおおおおおぉー」
テンションの針が振り切れそうになった僕は、裸のまま記念写真を撮ったり、ざぶんっと湯船に飛び込んだりしていた。やりたい放題である。
後になって、ありゃ、これは昼間のペルー人と同じ過ごし方じゃないかと思った。確かにな、こんな開放的な空間では、しっぽりと過ごすよりもこうやって入った方が気持ちいいものだな。分かってないのは僕の方だったわけか。
「たまんねぇーっ!」
湯船に浸かりながら叫ぶと、僕の声は少しだけ山に反響して、あとは夜の天蓋へと吸い込まれていった。

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