第9話 メキシコのタチート

 メキシコに限らずラテンアメリカの街歩きの基本は「セントロを目指せ」が基本である。セントロとは英語でセントラル、すなわち中心部を意味していて、セントロでは必ず大聖堂と広場がワンセットになっている。ここから放射状に繁華街が広がっていて、市場や食堂、安宿がある。
 大聖堂は概して街で一番大きな建物であることが多いので、街に着いたら何はなくともまずは、この大聖堂のとんがった尖塔を探してセントロを目指すことから始めるのだ。
 メキシコ中北部は特に街歩きが楽しかったエリアだ。このあたりに広がる高原地帯にはかつて銀で栄えた鉱山都市があちこちに点在していて、それらを結ぶ道は「銀の道」と呼ばれていた。統治国であったスペインによって築かれたコロニアル(植民地風)様式の街々はそれぞれに個性があって面白い。
 その中でアグアスカリエンテスという街が良かった。時代を感じさせるセントロ周辺の歴史地区とメキシコらしい活気のある食品市場が気に入って数日滞在していた。

 タチートとはこの街で出会った。
 市内を周回する環状道路沿いにくたびれた外観の日本食レストランがあった。この街に着いて知ったことだが、このあたりは日系の自動車企業が多数進出していて、他にもいくつか日本食レストランを見かけた。
 このところ少しお腹の調子が悪かった。今日はお腹に優しいものでも食べて養生するかと、立て付けの悪い引き戸を開けてそのレストランへと入った。
 店内はいかにも日本の定食屋という風体だった。暖簾に、醤油など各種調味料が並んだカウンター、壁に貼られた毛筆調のメニュー…ここだけ見たらとてもメキシコとは思えない。
「一人かい?どこの会社の人?」
 奥からとても小柄な日本人のおばあさんが出てきた。口ぶりから察するにやはりこのあたりは駐在員が多いらしい。「旅行者なんです」と伝えると、おばあさんは「旅行者のお客なんて初めてだよ。よくここが分かったねぇ」と言った。たしかにセントロから離れたこの場所に旅行者がやってくるなんてことは自転車乗りを除いてまずないだろう。
 それから、お腹の具合が悪いにも関わらず誘惑に負けてトンカツ定食を頼み、しばらくおばあさんと話をしていると、二階からおじさんが降りてきた。中肉中背、少し襟足の伸びた髪型に優しく垂れた目元。あと十歳年を取ったジャッキーチェンといった感じだ。そのおじさんと目が合った。
「おう、こんちは。どこの会社の人だい?」
 さっきと同じ質問だ。いったい誰だろう、見た感じでは息子さんだろうか。
「自転車で旅行してるんだってさ。カナダから走って来たみたいだよ」
 どこから話せばいいだろうか、と戸惑っているところでおばあさんが代わりに答えてくれた。
「なにぃ!カナダから!?いったいどこをどう通ってここまで来たんだよ!?」
 おっと。おじさんは予想以上にいいリアクションを見せてくれた。
「あとちょっと早く来たら今日、俺の番組に出させてあげたのに!!」
 えっ、番組?どういうことだ?話が突飛すぎてイマイチ状況がつかめない。おじさんの勢いに流されるままに旅の経緯を話していると、馴染みと思われるお客さんが来店した。
「ちょっと聞いてくれよ、この兄ちゃん自転車でカナダから来たんだってさ。だから、俺の番組にだそうと思ってんだよ」
 未だにこのおじさんが何者なのかつかめない僕だったが、その馴染みのお客は、「ふんふん、いいねぇ」と特別驚くこともなくおじさんの話を頷いて聞いている。本当に一体何者なんだ??
 おじさんは恐ろしい勢いで話し続けた。止めどなく続くマシンガントークでトンカツ定食に手を付ける隙すらない。
 ここで会話の断片から話をまとめてみると、このおじさんはさっきのおばあさんの息子さんで、周りからはタチートと呼ばれていて、メキシコでテレビに出ていて、料理人で、今は貿易関係の仕事もしていて…。むむ、余計に訳わからん。
 けれど、混乱する僕を尻目に猛烈な勢いで話すおじさんの話からは何か瞬時に物事の本質を見抜くセンスのようなものが随所に垣間見られた。例えば、こんな話だ。
「人と同じことをしちゃ面白くないぜ。先人の通った轍をいかに自分の色にしていくかが大事なんだぞ。バックパッカーや自転車乗りなんか世の中にごまんといるだろう?同じことしてちゃ意味ないぜ?人と違うことをしなきゃあ」
 見事に旅の核心をついてくる。確かにそうだ。そしてこう付け加えた。
「だから、兄ちゃんはアルゼンチンまで行くなら、七輪持って南極にでも渡ってその辺のペンギンとっ捕まえて焼いて食うんだよ。世界中から非難されるぜ、ガッハッハッハ!」
 な、なんちゅう人だ…
「まぁそれは冗談だけなぁ、でもそのぐらい人と違うことをプラスアルファでやっていくことで兄ちゃんの旅は兄ちゃんだけの旅になっていくんだぜ」

 その後、話の勢いそのままに二階にある事務所に場所を変えて、タチートは話続けた。そこでやっと彼がここに暮らしている経緯も知ることが出来た。
 今から三六年も前にメキシコに渡り、独学でスペイン語を習得。程なくして、メキシコの芸能界に進出し、テレビやミュージカルなどに出演していたそうだ。タチートとはその時の芸名で、僕より年上の世代のメキシコ人に「あなたの知っている日本人と言えば?」と質問すれば十中八九タチートの名前が挙がる程の有名人らしい。なるほど、それで俺の番組に出ろよと言ったのか。やっと話の全貌が見えてきた。
 事務所には、タチートの若い頃の写真と共に、油絵もいくつか飾られていた。どれもこれもタチートの作品だそうだ。写真の中にはサックスを吹く姿もあり、本当に多才過ぎてびっくりしてしまう。こういう人はあらゆることに驚異的なセンスを発揮してどんなこともフィーリングでこなしてしまうらしい。
 それから突然奥から習字セットを取り出してきたかと思ったら、サラサラと半紙に文字を書き始めた。「運命自招」と書かれている。
「いいか、伊藤ちゃん。これはオレが考えた言葉だ。運命は自分の意志で掴み取らなくちゃいけない。オレと知り合ったんだからテレビに出なきゃ。こんなこと他の自転車野郎はやってないぞ?これはお前が捕まえた運命なんだよ。だから来週までいろよ。飯は食わしてやるからさ、明日も来いよ」
 そういってニッと笑った。僕は相変わらず呆気にとられたままだ。これが僕とタチートとの出会いだった。

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