第13話 旅は道連れ世は情け

 中米に入り、エルサルバドルからは同じ自転車旅行者のモトミくんサヌキくんと三人でパナマを目指すことになった。

 モトミくんとはグアテマラの古都アンティグアで出会った。無造作に伸びた髪の毛に黒縁眼鏡、派手な緑色のパンツと擦り切れたナイキのサンダルで、煙草をくわえながら宿の屋上にふらふらと現れた。浮浪者まで三歩手前の風貌に僕はギョッとしたものの、チャリダーだと聞いてすぐに親近感が湧いた。メキシコで二〇〇ドルの安自転車を買って、ここまで走ってきたらしい。その彼は煙をふぅっと吐き出しながら、遠い目で言った。
「でも実は今日、強盗に遭っちゃったんですよねぇ」
「…まじで?」
 話を聞けば、今日この宿を出たモトミくんだったが、強盗に襲われ戻ってきたところだったらしい。相手は車で彼に体当たりし、倒れたところに拳銃を当ててきたのだという。幸いに大きなケガもなくパスポートも無事だったそうだが、白昼堂々、それも交通量の多い幹線道路での事件である。
 そこは翌日に僕も走ろうとしていた道だっただけに、背筋に戦慄が走った。ラテンアメリカに入って四カ月。当初抱いていた恐れは薄れつつあったが、やはりこういう一面もあるのだ。
 実際にメキシコよりも中米の治安は深刻なようだった。その様子は一目瞭然で、商店にはショットガンで武装したガードマンが立っていて、お店の人とは鉄格子で遮られた仕切り越しにやりとりをしなければならなかった。夕方になるとどこも店じまいをして女子どもは誰も歩いていない。一寸先は闇、何が起きてもおかしくない雰囲気だった。
 気の毒だが、奪われてしまったものが帰ってくる望みはまずないだろう。
「ほら、強盗に襲われたけど、生きてるじゃん。それにおかげで僕はやられずに済んだし、な」
 僕は、彼をどうにか励まそうと言葉を探したのだが、出てきた言葉は今の彼には強烈すぎるブラックユーモアだった。相手をさらに追い詰めてどうするんだ…。
 それでもモトミくんは「くしし」と人の良い笑顔を浮かべてくれ、「でも」と続けた。
「旅は終わんないっす。南米まで行くんす。」
 カメラや現金を奪われはしたが、旅を続けるための再準備をこの街でするという彼。ともすれば自分が強盗の餌食になっていた可能性だってあるこの事件を僕はどうも他人事とは思えなかった。加えて、右も左も分からずただペダルを漕ぎ続けていたいつかの自分が彼に重なって見えた。ここで出会ったのももしかしたら何かの縁なのかもしれない。だから僕は「一週間後、エルサルバドルの首都で会おう」とモトミくんを誘った。

 そこには、もう一人のチャリダーのサヌキくんがいるはずだった。僕は彼に会ったことはなかったが、知人を通じて彼を紹介されていた。「お互い南米を目指しているし、どこかで会えればいいですね」とメールのやり取りをしていたのだった。モトミくんはサヌキくんと以前に会ったことがあるらしく、それならば三人で合流して走れば、それなりの危険抑止力にはなるだろうと思ったのだ。
 それに北米の終点パナマから南米のコロンビア間は陸路が通じておらず、飛行機かカリブ海をヨットで渡るかの二択となる。出来るなら陸路に拘りたい。三人もいれば、パナマでのヨット探しと交渉もやりやすくなるだろう。
 一足先に首都のサンサルバドルに到着した僕は、サヌキくんの滞在しているホテルを訪ね、彼と初めて会った。
「どうもーサヌキですー。はじめましてー。」
 軽快な口調だが、銀縁眼鏡の奥のキツネ目は鋭く、笑っていなかった。頬までびっしりと覆われた髭は、彼の強烈なパーソナリティを表しているように見え、僕は少し身構えた。何より事あるごとに両手をポケットに突っ込んでいる彼の様は「俺は世の中の全てに不満があるんだぜ」と言わんばかりだった。
 しかし、その後、彼と食事に出かけるとあっさりその第一印象は覆された。サヌキくんはよく喋り、よく食う男だった。「中米はクソだぜ」などと悪態をつきながら、「うめぇ、うめぇ」とこの辺りでよく食べられている煮豆のフリホーレスをむしゃむしゃと食べている。彼は単に不器用で天然なだけであった。どれくらい不器用で天然かというと、僕が宿で作ったツナの炊き込みご飯を勝手に一人で平らげた挙句、僕の前で「全然足りねぇな」と口走るぐらいである。

 二日後、モトミくんもサンサルバドルに到着し、かくして僕らは南国らしい濃厚な緑に覆われた中米を即席チームで走り出した。
とにかく暑くて湿度もすごい地域だったから、僕らは一時間に一度休憩を取った。街道沿いにはバナナやパイナップルといったフルーツ売りが頻繁にいたからそれは僕らにとっては好都合だった。
 街道にいたのは何もフルーツ売りだけではなかった。チキン売りや、アイスクリーム売りもいて僕らを誘惑してくる。中にはイグアナの尻尾を逆さにしてぶら下げているイグアナ売りなんかもいた。
「食べられるらしいっすよ!いってみますか?」
 モトミ君が嬉しそうに言う。逆立ったトサカ、ブツブツした緑色の皮膚を見て、ぶんぶんと首を横に振る僕たち。切り身ならともかく、これはちょっと…。
 そんなものまでいちいち相手にしていたから、休憩は毎度だいぶ伸びてしまっていた。でもそれが楽しいのだ。
 例えばスイカなんかは大きくて一人ではなかなか食べることが出来なかったのだが、みんなでシェアするとちょうどいいサイズになった。「バカ殿」のようにすごいスピードでスイカにガリガリとかぶりつくと、フルーツ売りのお姉さんたちも巻き込んで腹を抱えて笑った。スイカをたんまり食べてお腹が膨れたら、太い木の枝に架けられたハンモックに揺られて少し横になる。木陰に気持ちいい風が吹き抜ける。ここが危険な地域とは思えないのどかな昼下がり。一人だったらあっという間に駆け抜けて、立ち止まることがなかっただろう光景だ。

 僕らはみんな年齢も近く、同じ時期を名古屋で過ごしていたという共通点もあり、打ち解けるのには時間がかからなかった。何より自転車乗り同士である。
 日本にいた頃、「自転車で世界を旅してみたいんだ」と口にすると、ことごとく変人扱いをされた。僕の周りにはチャリダーはもちろん、バックパッカーも一人もいなかった。だから、日本で旅の話をしたことはほとんどなくて、一人悶々とした想いを秘め続けていたのだった。ところが旅に出てみると、「南米へ」たったこれだけのキーワードで僕らは出会った。
 旅に出た経緯も違うし、普段の生活も違っていたから同じ時期に名古屋に住んでいたとしても交わらなかった三人が、この中米の小国で揃った。これって実はすごいことだと僕は思う。
 あそこの街のあの宿には泊まったか?とかあそこの坂はとんでもなくきつかっただとか、自転車乗りでしか共感してもらえない話を普通に出来る。もっと言えば例えば「シウダーファレスでさ…」そう口にしただけで「あぁアレな」と、お互い言わんとしていることが通じ合ってしまうのだ。これを旅の懐の深さと呼ばずしてなんと呼ぼうか。

 一日を走り終えて、宿に自転車を運び入れると、お気に入りのスーパー「スーペルセレクトス」へと向かった。そこで肉を買ってきて、宿のテラスで焼いて食べる。中米の牛肉は概して硬くて、全く噛みきれない。かれこれ五分以上くちゃくちゃと口の中でやっている。
「ぜんぜん飲み込めないっすねぇ」
「まるでゴムゾウリだな」
 僕がそう言うと、みんな口に肉を入れたままゲラゲラ笑った。
 一人だったらやり場のない怒りで震えるこのゴムゾウリ肉も、三人だとおかしくて仕方なくなってしまうのである。

 うだるような暑さで長い坂道を漕いでいた。前方でツラそうに自転車を押しているサヌキくんの脇を「お先に!」と追い越す。するとムキになったサヌキくんが自転車に跨って追いかけてくる。「はぁはぁはぁ」と声を出す余裕さえないのに。
 頂上にあった小さな商店の軒下で休憩をとる。モトミくんも遅れてやってきた。
「暑いっすね」
「暑いなぁ」
「暑過ぎだわ」
 交わす会話はたったこれだけだったが、それでも暑さが少し和らいだような気になった。
 そろそろ出発するか、というタイミングで日陰に座っていたサヌキくんがおもむろにTシャツを脱いだ。そして大量の汗を吸ってひたひたになっているTシャツをひと絞りするとブシャァっと濁った色の水分が絞り出た。
「きったねぇ!」
「うるせぇよ!」
 たったこれだけの会話なのに腹がよじれるほど僕らは笑った。
 うわっはっはっは。面白いなぁ、ホント。シェア出来る仲間がいるってことがこんなにも面白いものだとは!

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