第23話 南米最悪のひどい道

「ボリビアで最も走りやすい道は乾季のウユニ塩湖である」という皮肉があるそうだ。
南米で最も貧しい国であるボリビアはインフラ整備が遅れていて、幹線道路であっても未舗装の箇所が今もあちこちに残っている。それもほとんど手入れがされていない未舗装路だから、車のタイヤが地面を削って、洗濯板状にでこぼこの畝が連なる道が延々と伸びているという具合だ。
だからフラットな白い塩原が広がるウユニ塩湖がボリビア一の道というのもあながち嘘ではない。ただし、これにも注釈が付く。
僕はウユニ塩湖を自転車で走ったけれど、どこまでもフラットで走りやすい大地が続くのは塩湖の中でも観光客が多く、車で踏み固められた南部から東部にかけてのみで、そこ以外は塩の結晶が盛り固まっていて普通のボリビア道に負けず劣らずの走りづらさとなる。
そして時々、乾いていないぐずぐずの水溜まりが現れるので、ずぶりとタイヤがハマってしまう。この水溜まりが広範囲に張り巡らされる雨季のウユニ塩湖にバックパッカーたちはこぞって集結するのだが、金属の塊である自転車にとってはやっかいな、それも塩含んだ水溜まりなのだから気が気ではない。といってもこんなスペクタクルな景色は世界中を見渡してみてもここしかなくて、僕は大いに満喫したのだけれど。

さて、今でこそ絶景で多くの人に知られているウユニ塩湖だが、その先には、ボリビア一ならぬ「南米一の悪路」があるということまでを知っている人は果たしてどれだけいるだろう。
ボリビア南東部のチリと国境線を接するあたりは世界有数のフラミンゴの保護区となっていて、浸食活動で出来た奇岩や吹き出し続ける間欠泉が見られる。赤、白、緑色をした湖が各所に点在していることから「宝石の道」などと洒落た通り名を持っていて、ここを通ってチリへと抜けることが出来る。
この宝石の道こそが南米一の悪路だそうで、苦行としか思えないひどい道が続いているらしい。そんなところに自転車で突っ込むのはいかがなものかと少しは躊躇した僕であったが、せっかくここまで来たのだから、最高なものだけでなく、最低なもの味わってみるのもいいんじゃないかという妙な色気が出てきてしまった。そう感じてしまったら負け、である。僕は南米一ひどい道がどんなものか確かめてみることにしたのだった。
ところが、食料をどっさりと買い込み、気合いを入れてウユニの街を出発したにも関わらず、悪路は悪路だがいつものボリビアクオリティと何ら変わらない道が続いた。ホッとしたような、期待を裏切られたような気分だ。一日に一つ程度だが、村もあった。
「大したことないじゃないか、口ほどにもない」
しかし三日後、突如として南米一ひどい道は姿を現した。ごつごつの石、いや岩がむき出しになった地表に薄く砂が被ったようなガレガレの道になった。丘を越える傾斜も尋常じゃない。一気に文句なしに過去最高の悪路である。
額に血管を浮かばせて自転車を丘の上まで押し上げると、呆然と立ち尽くしてしまい、なぜここが南米一の悪路と呼ばれるかの本質を悟った。丘の向こうには道が五重、六重と縦横無尽に引かれていたのだが、それは正規の道ではなくて、荒れた路面を嫌った車が路面の良さそうなところを勝手に走って出来た、ただの轍だったからだ。
「これは道とは言わないだろうよ…」
この辺りの道を調べていた時、地図によって道があったりなかったりだったことを思い出した。あれはある地図ではこの轍を道として認識していて、ある地図では道と認識していなかったからだったのか。
その中のある一本を選んで丘を下ってみると、がっくんがっくんと全身が激しく揺さぶられた。まるでロデオだ。とてもじゃないが乗れるようなコンディションではない。その先で再び轍は交差して三方向に分かれている。さながらあみだくじである。それもほとんど当たりが存在しないやつだ。
「ぐぐぅ」
別な轍に乗り換えてみると、今度は深い砂に足首の下まで埋もれて、これまた走れるような状況ではなかった。かといって戻るも同じく砂地獄。選んだ以上進むことしか許されないのも、これまたあみだくじと同じだった。僕はサドルを持ち上げるようにして、歯を食いしばりながら自転車を引っ張り上げた。
「んぐぐ」
周りはびっくりするぐらいに何もない。淡いピンクのフラミンゴが大量に羽休めしている群青色の湖のほとりに一件、ツアー客向けの宿が突然出現したが、それ以外は大きな岩すらなくて、切り裂くような西風から体を守る場所がない。ただただ砂の世界が続いている。標高四五〇〇メートルを越える高地に無の砂漠が広がっているなんて誰が想像したことだろうか。そんなあらゆる生命活動を拒む砂と風の世界を一人の生命体がえっちらおっちらと自転車を押している。シュールすぎる世界だ。
二日後、コロラダ湖に出た。赤の湖という名前通り、湖面が朱色に見える。水中のプランクトンと光の加減で赤く染まって見えるのだそうだ。この辺りの中心となる大きな湖で、湖岸にはいくつか家屋も見られた。
湖の先はさらに標高が上がって四八〇〇メートルを越えた。一向に変わらない悪路にズドン、ガタンとシェイクされては砂に足を取られては何度も転んだ。黒色の短パンも靴下も埃まみれですっかり色が変わり、叩いても叩いても砂が舞う。じゃりじゃりとした歯触りが口の中に残る。再びずるんと転んでしまった僕は、とうとうヤケが回ってきて、自転車を頬り出し、そのまま地面に大の字になって寝転がった。
「ボリビアのアホーっ!!」」
深々と青味を増して、もはやどす黒さをはらんだ空が異様に近かった。

ソルデマニャーナという岩盤の底から吹き上げる蒸気が、ぐつぐつと泥水を煮え立たせている地帯の先の湖に出た。ここの湖畔にツアー旅行向けの食堂があることは事前の下調べで分かっていたが、しかしいざそこに行ってみると、「よくもまぁこんなところに」という驚きをやはり感じてしまった。目の前の湖の一部で温泉が湧いているところだった。
「寒いでしょう。泊まっていくといいわ」という食堂のおばさんの厚意に甘えることにして、荷物を中に運び入れ、温泉へと向かった。
ピンク色に染まりかけた湖面に人影が二つ見えた。先客がいるようだ。
「オラ」と挨拶をして、湯船に浸かる。湯音はちょっとだけぬるい。湯冷めしそうだなと心配していると、先ほどの二人組が「こっちに源泉があるから、温かいよ」と教えてくれた。
近くの村に住むという二二歳と二〇歳の若者二人と源泉のあたりで肩を並べる。
こんなところに村などあっただろうかと思ったが、まぁあるのだろう。それから「どこから来たの?」「彼女はいるのか?」といったことを訊ねられた。この辺の質問はどこ行っても共通である。そして、「この国で探してるんだよね」と答えると相手方の目元がニヤリと緩むこともどこも共通である。
「チリに行くんだろう?」
片方が僕に訊ねる。
「そうだね、たぶん明日にはチリに入るかな」
「いいなぁ、チリの女の子はかわいいんだよなぁ」
「本当に?」
僕がそうおどけると、片方の彼は「本当だよ」と言ってざぶんと温泉に潜った。
呑気で他愛もない会話だなぁと思った。ここは人が寄り付くのも厳しいように思える高地にある冷涼で乾燥した半砂漠である。そんなところに似つかわしくない話が行き交っている状況に僕は不思議な倒錯感を覚えた。
しかし、目の前にある原始にも近いこの世界こそが彼らにとってのスタンダードだ。こういう土地で暮らす人々が確かにいる。「道じゃなくてただの轍だろう」僕がそう思ったところでさえ、そのぐにゃぐにゃに引かれた轍を辿ってきたら、こうしてこの地で暮らす人々に巡り合えた。でこぼこな轍さえも、結局は道だった。
むかし学校で、「地球は丸い」と教わった。その丸さを確かめるために僕はこうして自転車で旅をしているわけだけれど、いざこうして走ってみると地球はでこぼこじゃないか。全然、なめらかじゃない。いびつな地球こそがこの星の本当の姿なのかもしれないなと、この時、ぼんやりと思った。

先に温泉をあがった彼らは「うぅ、さみぃ」と肩をすくめながら慌てて着替えをしていた。先に着替えが終わった男がバイクに跨り「早くしろよー」とクラクションを鳴らして急かす。もう一方の男が「待ってよ」と片足をけんけんさせながら靴下を履いている。やっぱり、どこかとぼけた雰囲気だ。
バイクに二人乗りをした彼らは僕が通ってきたガタガタの荒れ道を帰っていった。闇を切り裂くヘッドライトのビーム光線が忙しなく不規則に上下に揺れている。その光線の先に集落の明かりは全く見えなかったけれど、彼らはいったいどこまで行くのだろう。僕はようやく一人になって、静けさを取り戻した温泉に浸かりながら、ヘッドライトの行方を追っていた。

翌日の午後、ボリビアのイミグレーションに到着した。周りに何もない丘の上にポツンとコンクリート建ての質素な建物で出国手続きをすると、間もなくチリに入り、道がアスファルトに変わった。ガタついた道を何週間も走った後のアスファルトの滑らかさは感動的であった。道は下り坂、それも四〇キロ一直線に続くダウンヒルである。ボリビアでは一日かかっても走り切れないこともあったその距離を僅か1時間少々で下り切ってしまった。

サンペドロ・デ・アタカマという街は、チリでも最も古い街の一つ。アドべ様式(日干しレンガ)の街並みは、ボリビアの田舎とそう大差ないが、しかし建物の中に入ると違いは歴然である。「ボロい」のではなく、「趣」のある佇まいで室内は飾られ、ホコリ臭さもない。宿のベッドもスプリングがイカれて窪んでいるなんてことはなかった。シャワーも熱々なのがじゃぶじゃぶと出たし、WiFiだってある。
カサカサに日焼けした人間もすとんと消えた。インディヘナや混血のメスティーソとは明らかに異なる肌の人間もちらほらと目につく。服装もお洒落とは言わないが、民族衣装を着ている人間はもういない。
食堂だって変わった。リャマやアルパカを焼いただけの「食い物」から、スパゲッティや海鮮スープといった「料理」が注文出来るようになった。標高が下がったからお米も美味しくなった。
まるで別な文明にやってきたみたいだ。僕はうなるように歓喜し、一つ一つにいちいち声をあげて感激した。けれど、それが一巡すると途端に虚しくなった。
「こんなことを求めて、ここにやってきたわけじゃないよな…」
 宝石の道を思い出された。冷たい風に切り裂かれ、何度も転んで、全身砂まみれで走った道。群青の空。淡紅色のフラミンゴ。想像以上に大変だったが、言い様のない充実感に包まれていた夜々。
計算のつく旅じゃない、ホンモノがそこにあったような気がした。

夜空にはほとんど満月に近い月が浮かび上がっていた。乾燥した大気がチリ・ボリビア国境に聳えるリカンカブール山を月明かりにくっきりと浮かべる。ちょうどあの山の向こうが昨日泊まった温泉のあたりだ。
たった数十キロ。でも世界は変わってしまった。
あの朴直な若者二人は今頃何をしているのだろうか。山の向こうを見ても、そこは相変わらず真っ暗なままだった。

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