第26話 チャリダー天国

チリ富士とも言われる見事な三角錐をしたビジャリカ山の頂上に立つと、足元にいくつかの湖と深緑色した森が広がっていた。この湖水地方のすぐ先はいよいよパタゴニア地方である。いよいよ南米の旅もラストステージに足を踏み入れようとしている。
チリ・アルゼンチンに跨る南緯四〇度以南の地域を総称するパタゴニアは、遮るものがない荒野に暴風が吹き荒ぶ風の大地とも言われているが、実はあれはアルゼンチン側のことであって、チリ側とは大きく性格が異なっている。
アルゼンチン側が激しく乾燥した大地になっているのは両国の国境線にもなっているアンデス山脈が太平洋からの湿った偏西風をがっちりとせき止めているからで、そのためチリ側は世界でも有数の降雨量を記録する地域となっていて、雨の恵みを受けて深い森が形成されている。
いったい誰が両者をまとめてパタゴニアと名付けたのかは定かではないが、とにかくこのようにパタゴニアとは対極の気候を併せ持った地域なのであった。

入り江に突き出したパステルカラーの可愛い家並の連なるチロエ島から船でチリ本土へと渡り、本格的にチレアンパタゴニアが始まった。この地域唯一の道であるアウストラル街道を南下していく。
走り出すとすぐに深みのある森が広がった。街道沿いの草の枝葉は、たっぷりと水分を吸い取り異様な大きさで一メートル程の幅があるものも珍しくない。
まもなく雨がポタポタと降りだした。この辺りの雨はシトシトと長く降る日本にも近い雨。フードの先から滴る雨粒の匂いはどこか馴染みのある匂いでもあった。雨の匂いに混じって、薪の爆ぜた香りがかすかに漂う。姿勢を楽にして、自転車から当たりを見回すと深い森に紛れた木造の小さな家からちょこんと煙突が伸びている。
森のすぐ後ろには、ほとんど垂直に近く切れ落ちた岩山があり、そこに滴る水分は、ぬるりとした質感のある怪しげな光を蓄えている。遠くでは見事な滝が勢い良く山肌を駆け下りていた。
時折、雲の隙間から晴れ間が覗くと、もやのヴェールに包まれていた山の稜線が見え出し、自分が険しくダイナミックな山々に囲まれていることを思い知らされる。
恍惚となったのはこの地域の色彩の鮮やかさだ。太陽が差し込んだ背の高い木々は一本一本の輪郭を鮮明にし、その影に隠れる木々たちはより緑を深めた。朽ちた木の幹に目を向けると、その木を養分として赤や紫の小さな花が芽吹いている。脇を並走する川と、遠くに見える湖はエメラルドや、あるいはミルキーなブルーに輝いた。森も川も色彩でもって晴れを謳歌する極彩色の世界がそこにはあった。
「きれいなところだなぁ」
結局、このアウストラル街道を走っていた一カ月は毎日必ず雨に打たれたが、時折顔を覗かせる晴の風景と晴雨の対比に僕はとても心を奪われた。

このパタゴニアはとにかくチャリダー多い。ほとんど毎日のようにすれ違ったり、追い付いたりした。多いときは一日に八人ぐらい会っただろうか。スウェーデンやアメリカ、ベルギーにメキシコなど国籍問わずたくさんのチャリダーがこの雨の森街道を走っていた。
どうしてこの地域に自転車乗りが多いか。晴れの日に見せる風光明媚な景色も然る事ながら、ここは交通機関がほぼない地域ということもあるだろう。かつ、風で進めないことも少なくないアルゼンチン側よりは、雨でもなんとか走れるチリ側を選ぶチャリダーが多いのだろうというのが僕なりの邪推である。
一口にチャリダーと言っても実に個性が分かれる。そしてその旅行スタイルから、そこはかとなくその国のお国柄も見えてくるのが興味深かった。
例えば、一番よく会うことが多いドイツ人のチャリダーたちは、まさに質実剛健といった感じで、きっちりとパッキングされたカバンを前後輪に二つずつつけた定番のチャリダースタイルが多い。僕も使っている防水カバンやパンクしにくいタイヤ、頑丈な荷台なんかはどれもドイツ製で、彼らを見ていると、なるほどあのチャリ旅道具が開発されるワケも分かるような気がした。旅に対してもとことん生真面目で、合理的なのが彼らの性分らしい。
そしてオランダ人やスイス人も彼らに近いスタイルの標準型チャリダーが多かった。    
逆に軽装が多いのはスペイン人。コットンパーカーにスニーカーで、思い付きでチャリダー始めました、というやつらも多かった。ブラジル人も割とこっちに近い。
イタリア人はチャリダ―になってもお洒落で、緑・白・赤のイタリア国旗のトリコローレカラーのヘルメットをかぶっていたのを見たときには、ほぅっと感心してしまったものだ。
奇をてらったチャリダーが多かったのはフランス人である。リカンベントという寝椅子タイプの自転車乗りもいれば、二人乗りのタンデム自転車にも出会った。いわゆる普通の自転車に乗っているやつがいないのだ。かのツールドフランスのお膝元には、普通の自転車が売っていないのか?と勘繰りたくなってしまう。
だから、ヘンな自転車に乗っているやつを見かけて「フランス?」と尋ねるとだいたい「そうだ」と答えが返ってくる。
そんな彼らを、言語の系統で分けてみると不思議なくらいに二分される。
スペイン語や、イタリア語、ポルトガル語、フランス語はロマンス語族に入るが、ドイツ語やオランダ語、英語なんかはゲルマン語族に入る。言葉の違いが、チャリダーのスタイルに何らかの影響を与えているという可能性があるのかもしれない。
そして最も絶句したチャリダーもフランス人の女の子だった。
彼女とは、チリを抜けた後のアルゼンチンパタゴニアの宿で出会った。パタゴニアの風が牙を剥き出してびゅうびゅうと荒れ狂っていたある日、宿のキッチンでチラチラと視線を投げられていた。何だよ、オレに気でもあるのか、まいったなぁと思っていたのだが、そんなことはまるでなくて、後で「私もサイクリストなの」と話しかけられた。
ヨーロピアンでは珍しく身長一五〇センチちょっとの小柄な女の子のアンは、これから僕の通ってきたルートを北上するという。それならばと、僕は得意げに色々な情報を教えてあげた。それから「どんなのに乗ってるの?」と尋ねると、彼女は「あなたの自転車の脇に置いてある」と言った。はて、あそこにもう一台自転車なんてあっただろうかと思い、ガレージに行ってみると、僕の自転車の隣には一輪車がこつんと立てかけられていた。
「ま、まさかこれで旅してるの?」
「そうよ、私は“ユニ”サイクリストなの」
僕は二の句が継げずに、ただただ口を開けてぽかんとするしかなかった。

さて、ちなみに我らが日本人はといえばだが、こちらは残念ながら道中誰にも出会うことがなかった。だから逆を言えば、パタゴニアで出会ったチャリダーたちからは僕の前輪にカバンをつけない軽量スタイルが日本人のスタイルなのだ思われていたかもしれない。
一度こんなことがあった。僕は身軽なこともあって、一日に漕げる距離が割と長いので、一気に走って一日休養というパターンが多かった。
そのとき度々再会していたマティアスとアンドレアというスイス在住のドイツ人カップルがいたのだが、彼らが二日かけて走る距離を僕がいつも一日で走ってしまっていたので、「なんでお前は、いつも一日遅れで走り出すのに、いつもうちらに追い付くんだ」と言われ、そのうち会ったこともないチャリダーからも「めちゃくちゃ早い日本人ってオマエか!」などと噂が独り歩きしてしまっていた。
確かに僕の荷物が軽量だからということもあるのだが、いやしかし彼らの荷物が重すぎるというのもある。彼らは自転車の後ろにさらにトレーラーをつけて、ワイン六本、ギターなんかも積んでいたのだから、どっちもどっちだと思うのだ。
そんな二人は旅のホームページをもっていて、それをある時覗いてみた。そこには旅で出会った人物紹介コーナーがあって、それぞれに「ミスタージグザグ」といったニックネームをつけて紹介されていた。僕のこともニックネーム付きで書かれていた。どれどれ、なんて書かれているのだろう。
「アウストラル街道最速の男“ヨコシマライトニング”」
うーん、ダサい!速そうなのは伝わるけどダサ過ぎる。そしてヨコシマって何だよ。きっと僕の出身地のフクシマが、ヨコハマあたりがごちゃ混ぜになってしまっているのだと思うけど、いいやまさか、僕が邪(ヨコシマ)なやつだってことを見抜かれてしまっているわけはないはずだ。

とまぁとにかく、チャリダーとはこのように案外一括りに出来ない個性があるわけで、どんな旅のスタイルでも受け入れてくれるのがチャリ旅の懐の深さでもある。そしてそんな奴らが一堂に会するこの土地は、世界でも類を見ない程、「多様性」を認めてくれる場所なのかもしれない。
パタゴニア。気候も景色も全く異なる二つの国に跨るその地域は、風流韻事な銀輪の好き者たちが世界中から集まる場所なのである。

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