第21話 赤茶色の古都

モトミくんと再会をしたこの街からクスコまでは約二〇〇キロ。あと三日、四日あれば到着出来そうな距離だ。その夜、僕らはクスコに着いたらまず何をするか?という話題で持ちきりだった。
「そうっすねぇ、カツ丼が食いたいっす。僕」
「いいねぇ。それからたっぷりのホットシャワー浴びて、洗濯もしたいよなぁ」
「それも捨て難い!あ、あと僕、誕生日もうすぐなんで、何か御馳走して下さいよ」
「それは考えておく」
クスコに着いたら、というよりももうクスコに着いているような気分で話が盛り上がっていた。
クスコでは元チャリダーの人が経営している日本人宿に行ってみようという話になった。何せ、天下のマチュピチュへの起点となる街である。お盆も近いこの時期だ、きっとたくさんの旅行者で賑わっているに違いない。男同士でマチュピチュへ行くよりも、そこで女子と知り合って…となったのである。男が集まると話の最後は大抵こんな話になるものだ。
「だいたいさ、考えてみろよ、『アンデスを越えてきたんです』って自転車乗りが現れたら、絶対、女子大生は『かっこいい!一緒にマチュピチュへ行きたいです』ってなるって!」
「女子」はいつの間にか「女子大生」に変換されていたが、モトミくんは何も問題はないと言わんばかりにうんうんと頷き、エビス様のように目尻を下げた。
「いいっすねぇ。じゃあ僕はショートカットの方で!」
うんうん、オマエの好みはショートカットなのかと思ったが、もはや僕もモトミくんには何も突っ込みしなかった。
「それじゃ急ごうぜ!」
かくして「ボンノー」というものに支配された僕らは、鼻息荒く約四カ月振りに一緒にインカ帝国の古都を目指すことになった。

もう越えた気分でいたアンデス山脈だったが、やはりアンデスはアンデスだった。さすがに最初の頃のような延々と続く上り坂はなくなっていたものの、これまでにも増して急勾配の峠道が続く。
しかし僕らは、スターを手に入れたスーパーマリオのごとくあらゆるものを蹴散らして、突き進んだ。「ボンノー」の力はかくも凄いらしい。
峠の先の谷底ではからりとした陽気でヒスイ色の川の音がざぁーざぁーと賑やかである。まるでたった一日の中で四季が巡っているかのような色艶だったが、そんなものにも目もくれず、信じられないスピードで駆け抜けた。ここで油を売っていたら、どこの馬の骨とも分からぬ男に女子大生を取られてしまう。
三日後、対岸の雲の陰にサルカンタイ山が見えた。この山の先にマチュピチュがある。少しずつ、通過する集落と集落の間隔も詰まってきた。じきにクスコだ。もうすぐでアンデスを越えるのだ。
「ジョシ!ダイ!セイ!」
僕らは掛け声に合わせてピッチを上げた。

ところが、「クスコへようこそ」と書かれたゲートをくぐったところにあった街は、これまでのアンデスの集落と変わらない垢抜けない街だった。崩れた日干し煉瓦の家並み、小便臭い道端、しかし交通量だけは一丁前で、トラックやバスが排気ガスをもうもうと吐いている。カツ丼もホットシャワーも、ましてや女子大生などどこにいるというのだ。
「こんなところをオレたちは目指していたのかよ」
へなへなと力が抜け、落胆で気力を奪われていくのが分かった。
「なんか思っていたのと違いますね…」
もしかしたらずっと山岳路のド田舎を走っていたせいで、僕らはクスコに過剰な期待をかけすぎていたのかもしれない。アンデスを越えた先には夢の国が広がっているものだと僕らは勝手な幻想を抱いていたにすぎなかったのか。
そして更に、この後に及んで上り坂が続いていた。
「とりあえず行ってみますか」
トボトボと自転車を進めると、ようやく下り坂となった。気怠い心持ちで重力に任せて下る。そして緩やかなカーブを曲がると突然視界が開けた。眼下に広がる景色に一瞬思考が停止し、そしてこみ上げるような衝動が爆発した。
「!!!!!!」
この衝撃には記憶があった。カナディアンロッキーの大陸分水嶺を越えたあの時、うだるような暑さのジャングルのすき間からパナマ運河が覗いた時…。カーブの先の盆地にはずっとずっと目指し続けたクスコの赤茶けた街並みが展開されていたのだ。
「うぉぉぉーーー!」
「あーーーーーー!」
僕らは叫んだ。叫ぶ以外に出来なかった。一〇〇キロ終わらない坂があって、途中では吹雪に遭い、峠では必ず天気が崩れながらもここを目指してやってきたのだ。どんな言葉でもってしても今の気持ちを表す適当な言葉を僕は知らない。
左下にカテドラルとアルマス広場が見える。は、は、は。アンデスを、僕らはついにアンデスを越えたのだ。
「うぁぁぁぁー!」
相変わらず言葉にならない声をあげる僕らをおっさんたちが、なんだこいつらは?という目で見ていた。

セントロへと到着すると、さすがに世界的観光地だけあって右を見ても左を見てもツーリストだらけだった。再び不純なもう一人の自分が顔を覗かせる。
「どこだ、俺たちの未来の嫁はどこにいるのだ?」
「隊長、あちらにバージンロードを発見しました!」
「でかしたぞ!」
僕らは一目散に目当ての宿へと向かった。
宿の前に着いて、お互いに身嗜みを整える。何せ、女子大生が待っているのだ。こういうのは第一印象がモノを言う。ワイルドな旅してます感を醸しつつも、近寄りやすいように適度な清潔感もアピールせねば。だから昨日の宿は水シャワーだったが根性で浴びてきた。
「こんにちはー。空いてますか?」
こんな声色を使うのはどれくらいぶりだろう。何度も言うが肝心なのは第一印象なのだ。すると元チャリダーのオーナーが向かえてくれた。
「おう、いらっしゃい。自転車か。今年は初めてだな。今日はお前らが一組目だから好きなところ使っていいぞ」
「一組目」と聞いて僕とモトミくんはお互いを見合わせた。
「あ、あれ?」
中に入るとオーナーは広いツインの個室をそれぞれに使わせてくれた。元チャリダーならではの嬉しい心遣いだったのだが、僕らの心には一陣の寒風が吹き荒んだ。
「………」
お盆休みでフレッシュな女子大生がいるはずの宿には、僕らしかいないなんと聞いていない!

それからメールをチェックすると、サヌキくんからメールが届いていた。僕らの後方を走っているものだと思っていたのだが、途中トラブルに遭い、バスでクスコまで飛ばしてきていたそうだった。
セントロで待ち合わせをすると、相変わらずポケットに両手を入れて尖ったように突っ立つ男がいた。リマ以来一カ月振りの再会だが、何が嬉しくて、この街で男と待ち合わせしなきゃいけないのだ。
「おぅ、お疲れお疲れ、待ちくたびれたぜ。まぁとりあえずメシ行こうや」
「なんで女子大生じゃなくて、お前なんだよ…」
サヌキくんからすれば言われる筋合いのない文句である。
「ところで二人ともあの宿に泊まってるんだって?よし、じゃあ俺も明日からそっち移るわ」
「いやだからさ、お前じゃないんだよ…」

その後改めて街を歩いてみると、相変わらず観光客はたくさん見かけたが、しかし、みんなグループで行動をしている様子を見てようやく僕らは悟った。
「だいたいさ、考えてみろよ、こういうところに来る女子大生はツアーで来るだろうし、安宿には泊まらないよな」
「そうっすよね…」

結局、僕たちは男同士でマチュピチュへと行った。とうとう気が振れたのか、土産屋で買った真っ黄色のTシャツをお揃いで着て。

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