第24話 マテ茶の国境

チリ入国後すぐ、再びアンデス山脈を越えてアルゼンチンに入った。
「アンデスを越えて」などとさらりと書いたが、実際は五日もかかっている。いやしかし、こう何度もアンデスを右往左往していると、「ちょっとそこまで」ぐらいの感覚に陥っている自分がいたりもする。要するに頭がオカシクなりつつあるのだ。
アルゼンチンの国土を南北に貫く道のルタ40(クワレンタ)に沿って南下する。道沿いにはカラフルな岩石層がむき出しになった渓谷や、荒ぶる赤茶や肌色の大地がどこまでも続く。
厳しい土地なのかと思いきや、街の周辺にはブドウ畑が青々としていて、街中は街路樹の木漏れ日が優しく注ぐ。年季の入った建物はそこかしこにノスタルジーな雰囲気が立ち込めていて、どこかアメリカのルート66を彷彿とさせた。どちらも時代に取り残された遠い昔の、栄華の薫る道。
この国の牛肉がかねがね聞いていた噂通り安くて美味かったことに僕は歓喜した。街には必ずある肉屋に行くと、巨大な肉塊が冷蔵ショーケースの中に飾られている。一日を走り終えると僕は「ロモ トレシエントス グラモス ポルファボール」と呪文のように繰り返しながら肉屋へ足を運んでいた。この呪文の意味は「ロース肉三〇〇グラム下さい」である。
宝石の様に輝く赤身肉買ったら、さっそく調理に取りかかる。味付けは塩コショウだけでも十分イケるが、ここではチミチュリをよくかけた。チミチュリとはアルゼンチンの焼肉ソースでパセリ、ニンニクと各種香辛料に油とお酢を和えたものだ。強めの酸味とニンニクの風味が食欲をそそる。アルゼンチンのご飯もなかなか悪くないから、米と肉さえあれば大満足のディナーが出来上がった。
アルゼンチン式BBQのアサードが盛んな国だから、公園やキャンプ場どこに行ってもアサードピットが用意されている。こっちでは牛肉を「バカ」と言うのでバカ焼きである。
時に荒野のど真ん中にさえそれはあって、一体だれがこんなところでアサードをするのだと思っていたら、実際にやっている人間がいるのだから、この国のバカ焼き好きは驚愕の領域にある。
最も、「アサードにはやっぱり炭だよな」と炭を荷台に載せながら旅をしていた僕は正真正銘のバカだったけれど。そして自転車のフレームにつけた水筒には、これまたアルゼンチン名産のワインが入っていた。

一月ほどアルゼンチンビーフとワインの蜜月生活が続いていたが中部の主要都市メンドーサから再びアンデスを越え、チリに戻ることにした。サンティアゴからイースター島へ行く安い航空券が手に入ったからなのだが、どちらかと言えば今度はチリワインと海鮮三昧だと意気込んでいたことの方が本音かもしれない。

メンドーサからサンティアゴへと抜けるリベルタドーレス峠はアルゼンチンとチリを結ぶメイン国境だけあって、道は実に綺麗に舗装されていた。道中は南米最高峰アコンカグアの麓をかすめるルートである。
走りやすい道のおかげで三日目には峠にある国境付近へとやってこれた。歴史的に仲の悪かった両国の友好を取り持つように、この峠には軍の大砲を潰して作ったキリスト像が立つ。以前は四〇〇〇メートル近い標高まで上らなければいけなかったこの峠も、今では三一〇〇メートル地点にトンネルが掘られていた。
「おーい、悪いな。ここから先は自転車は走行禁止なんだよ」
トンネル手前の料金所のような小屋から男が出てきてそう言った。彼の制服には「ヘンダルメリア」と書かれた刺繍が縫い付けられている。国境警備隊だ。
「向こうからトラックを呼ぶから、それに乗って行ってくれ」
南米はここまで自分の足で走ってきたから、トンネルだけとはいえ轍を切らしてしまうことに抵抗がなかったわけではない。しかし、ルールはルールなので、大人しく車に乗せてもらうことにした。
雪が降り積もり、日も暮れかけた峠は寒かった。ばたばたと忙しなくはためくアルゼンチン国旗の水色は一層寒々しさに拍車をかける。汗冷えしないように上着をバッグから取り出していると、「コンコン」とさっきの男が小屋の内からガラスを叩いて僕を呼んでいた。
彼は僕を小屋の中に招き入れて、「まぁ飲みなよ」と木製カップを渡した。マテ茶だった。
アルゼンチンの国民的飲料であるマテ茶は、ジェルバという茶葉を煮出した青臭い苦みが特徴である。ビタミンを豊富に含むので、肉食の多いアルゼンチンでは、野菜代わりにこのお茶を飲むのだそうだ。僕も何度かキャンプ場でBBQをしているアルゼンチン人に飲ませてもらったことがある。
茶葉はカップに直接ぎっしりと盛られていて、ボンビージャという先端にメッシュの入った(この部分が茶漉しの役割を果たす)アルミのストローで飲むのがスタイルだ。ホストに淹れてもらったお茶は必ず飲み干さなくてはならなくて、飲み終えたカップをホストに戻すと、ホストは再び次の人へお茶を淹れる。こうやってみんなで回し飲みをするのが、この国の友情の証なのだとか。
どこから来たんだ?どこまで行くんだ?アルゼンチンはどうだ?とおおよそこれまでの至るところで聞かれてきたありきたりの質問に答えながら、マテ茶が振舞われる。寒くなっていたところだったので、これは有り難かったが、彼にしてみれば単に暇つぶしなのだろう。現に向かいの小屋にいた姉ちゃんまで、仕事をほったらかしにして、僕らの小屋にやってきた。
まぁそれはここに限らず南米中でよく見られる光景なので、別によかったのだけれど、一〇分くらいで来ると思っていた車が待てども待てども一向に来ないではないか。
「車はいつくるの?」と聞いても「まぁ待てよ」とお茶を淹れて僕に渡すばかり。やがて三〇分が経過した。
マテ茶を何杯飲もうとも迎えに来るはずの車が来ない。日が暮れかけているのもあって僕は少し焦っていた。もちろん彼らに非があるわけではないのは分かっているのだが、姉ちゃんまで交えて能天気な質問を繰り返されるのには少しイラつかされた。
「あの、車は…」
「まぁ待てよ」
やはり彼は質問をいなすように再びカップを僕の手に受け取らせる。「車は?」に「待てよ」では質問の答えになってないだろう。せめてもう一回ぐらい向こう側に聞いてくれるなりしてくれれば、僕も大人しく待てるかもしれないというのに…。
タプタプになったお腹をさすりながら、受け取ったカップを見た。今の気持ちがそうさせるのだろうけれど、このカップの丸いフォルムまですっとぼけたやつに見えてきた。
「はぁぁ…」
状況は変わらない、待つしかないのだ。一杯飲み干すと、やがて次のマテ茶がサーブされる。
あぁ、なるほどなぁ。
きっとこの国では「果報は飲んでマテ」ということなのだろうなと、そう理解することにした。

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